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一年


 2011年3月11日午後2時46分、小さな振動が瞬く間に暴風雨に翻弄される小舟のような揺れに変わり、その不気味さと怖ろしさは妻にひいを固く抱きしめさせ、いまにも放り出されそうになる食器を案じて私は棚を全身の力で抑え付けた。わかっていたのはただごとではない大地震に見舞われているという事実だけだった。
 このとき私たちが住む街は停電した。電源を失ったテレビは観られず、いったい世の中がどのようになっているのか理解できず、二人と一匹の群れは一塊になって揺れが収まった居間でぼんやりするほかなかった。尋常な気持ちでなかったことは、電池で動くラジオがキッチンあるのに気付いたのがずっと後だったのでもよくわかる。無事だったガスの火に土鍋を掛けて飯を炊き、大急ぎで握り飯をつくり、明るいうちに食事をし、暗くなってからは蝋燭と石油ランタンの乏しい光を群れで囲んだ。光をどうにか絶やさないようにしなければならないと必死だった。
 一夜明けて、コンビニエンスストアに行ってみると棚はほぼ空っぽで、私は最後の一袋となっていたポテトチップスを切ない気持ちで非常食料として買った。残りわずかになっていたトイレットペーパーを求めてドラックストアに行くと、すべて売り切れ。米とひいの餌があればなんとかなると私と妻は語り合うほかなかったが、米びつの中に余裕があったわけでなく、どこへ行っても米だけでなくパンも品切れが続いた。いま思い起こすと、春らしい明るい陽射しに似合わず行き来する人の眼は緊張にこわばり、街は静かながらも3月10日までとは違っていた。
 あの日以来、ひいは人が感じないほどのわずかな地震の揺れにさえ素早く反応し、すくっと起きあがって背中の毛を逆立て一声吠え、うろたえながら怖ろしげにか弱い鳴き声を喉からしぼり出すようになった。大丈夫と抱きしめても、しばらく動揺は収まらない。
 これまでも災害のとき避難場所に連れて行けないひいをどうするか話すことがあった私と妻だが、この懸念はより現実味と切実さを増した。クレートに入れさえすればとりあえず避難場所に連れて行けると聞き、クレートを買い、ひいがクレートの中を好むように躾けようと考えたが、恐がりで神経質なひいが避難場所の環境に耐えられるか疑問になり、壊れた家で二人と一匹で暮らすほかないかもしれないといま悩んでいる。
 もともと不安症の私は、いまある生活が根底から失われることを明日にでも起こり得る恐怖として頭から離れなくなり、これが不安症ゆえの妄想でなく現実であることが「しょうがない」とあきらめる気持ちを遠ざけている。なぜなら、あの日からしばらくして近所を走るバスの車体に「ガンバレ日本」と大きなシールが貼られ、「絆」という言葉をそここで耳にするようになったが、こんなものは嘘八百でしかなかった。甚大な被害がまるでなかったにもかかわらず私たちが暮らす関東西部でトイレットペーパーや米は必要以上に買い占められ、もし余分な一包みを自分が手にしなければ困っている誰かに行き渡るだろうと想像する力や思いやる気持ちが一部の(しかし、少なくない)人々からまったくなくなっていた。さらに一年近く経過し実情が見えず混沌とした状況が消えたというのに、放射性物質に汚染されていない被災地の瓦礫さえ受け入れて焼却することを拒む者がいる。これらから、私と妻とひいが被災者となったとき何が起こるか容易に想像することができる。
 私は多くを望んでいるわけではない。
 家族についての望みは、私と妻とひいの群れが腹いっぱいでなくても餓えずに生き延びること。身の回りについては欲張りや争いごとがないこと。そして可能なら、羽布団や柔らかい毛布がなくてもよいから、二人と一匹でいつものように川の字になって眠りたいだけだ。

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