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ももちゃんの話


 ひいの散歩道となっている緑道は、強い夏の日差しが木々で遮られ、涼風まで吹いて、まるで林の中の小径のようだ。ところどころ枝分かれをしながら十五キロも続いているこの道を、朝夕は犬たちが飼い主とともに行き来する。ももちゃんは、そのなかの一匹だ。
 定年退職したとおぼしき飼い主のおじさんと散歩をしているももちゃんは、柴犬とポメラニアンの雑種らしい限りなく白に近いベージュ色をした小さな犬だ。体型と毛並みは柴犬、眼の丸みとマズルの短さはポメラニアンに近い。いつもおじさんのすこしだけ後ろをゆっくり歩き、ひいを見てはしゃくごとも威嚇することもなく、そばにきてもぼんやりたたずんでいる。
 初対面からだいぶ経って、ももちゃんはやっとひいの口元のにおいをかいだ。じれったいくらいゆっくり一歩一歩近づいてきて、二、三度鼻先を動かしたかと思うとおじさんの足下へ戻って行った。おっとりした性格なのは間違いないが、それ以上におじさんのことしか眼中にない様子だ。
 おじさんはももちゃんがかわいくてしかたないらしく、愛娘を見守る父親みたいに目尻が下がりっぱなしだ。そして、ひいに話しかける口調まで幼い子をあやすような言葉遣いになっていて、この様子から家でのももちゃんのかわいがられようが想像できる。
 私はももちゃんが飼われるようになったいきさつも、おじさんがどこの誰なのかも知らない。しかし、ももちゃんの性格は生まれつきもさることながら、ほかの犬たちがそうであるように、おじさんとの生活によって育まれたものが大きいと言えそうだ。心の拠り所を得、大切にされ、ももちゃんは満ち足りているのだ。
 ももちゃんとおじさんが緑道を遠ざかって行く。
 ひときわ柔らかな空気が後ろ姿を包んでいる。
 ひいよ、おまえは幸せか? ただ、それだけが気がかりだ。おまえの幸せは、私たちの群れの幸せなのだから。

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