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おまえの母さん


「おまえの母さん、どこにいるんだろうな」
 毎日のように、ひいに話しかける。
 ひいは眼が開かないうちに兄弟姉妹とともに捨てられた。もっと母さんのおっぱいを飲みたかっただろうし、母さんにくっついて眠りたかっただろう。
 もしかしたら、そんなことは忘れてしまい、育ての親のAさんがひいにとって母さんなのかもしれない。捨てられてAさんの家に行くまでは切ない話だから、忘れてしまっていたほうがよいのかもしれない。
 しかし私は、ひいの犬の母さんに会ってみたい。
 ひいが千葉の動物愛護センターに捨てられたことを考えると、母さんは千葉のどこかにいるのだろう。仔犬を産んだのなら、郊外か田舎で外飼いだったに違いない。外飼い以前に、放し飼い同然だったのかもしれない。
 千葉の動物愛護センターの様子を、犬の保護活動をしているボランティアの人たちが撮影した写真で見ると、ひいによく似た犬がいて、母さんがまた赤ん坊を産んだのではないかと思えてならないときがある。赤ん坊を産むたび、飼い主は仔犬を捨てるのかもしれない。乳飲み仔や育ち盛りの仔から引き離される母さんの気持ちはつらいだろうに。
 いずれにしても母さんは、ひいが娘盛りになっているとは知らず、そもそもひいのことは憶えていないかもしれない。あのときひいはまだ犬らしい姿になっていないほど幼く、しかも別れから四年が経とうとしている。ひいと出会うことがあっても、見知らぬ犬がきたと怪しんで吠えるのではないか。
 そうだとしても、ひいの母さんに娘は楽しくやってるよと言ってやりたい。
 ひいは母さんのおっぱいを存分に飲めなかったぶんを取り戻すかのように、私たちが朝食のコーヒーに入れるミルクの残りをうれしそうに飲んでいる。母さんに甘えたい気持ちがそうさせるのか、人間のオトウとオカアといっしょにベッドの上で寄り添ってゴロゴロするのが幸せみたいだ。
 贅沢はさせられないけれど、ひいはとりあえず群れの中に居場所を見付け、小さな家を安住の地にしている。それ以前に、二酸化炭素を充満させた部屋に送り込まれず生きていることだけでも、あり得ないほど小さな確率の幸運だった。
 あなたの仔はひかりと名付けられ、ひいと呼ばれ、こうして今日も平々凡々な一日を生きていますよ。
 ひいの上に拡がる空は、ひいの母さんがいるところまで続いている。
 母さんとひいに、同じ朝、同じ夜が、訪れている。



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