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赤ちゃんとお嬢さん


 ひいの朝の散歩をしようと妻と家を出たとき、さほど遠くないところでトラックのものらしきエンジンの音がした。もしかしたら宅急便の車かな、と思った。
 というのも、この日、届く予定の荷物があったのだ。
 いつも通りの散歩コースをしばらく行くと、やはり宅急便の車で、ご近所の家へ届けものをしたドライバーに「カトウさん」と声をかけられた。荷物がやってきたのだ。
 ひいの引き綱を妻に渡し、私は家へ駆け戻った。
 その後、何が起こったか。
 妻の話によれば、ひいは家に帰ると決めて来た道を戻りはじめたそうだ。
 ここまでは散歩が好きではないひいにありがちなことである。
 その次が、あらあらというべきか、困ったものだというべきか、ひいはこの世の終わりのような声でヒイーヒイー啼いたのだった。
 虐待していると見られそうで気が気でなかった、とは妻の弁。
 ひいは宅急便で荷物が届いたとはわからないだろうから、オトウがいきなり走り出して家に戻ったのが非常事態と感じられたのかもしれない。それにしても、いい歳をした犬が取る行動ではない。
 つい最近のことだが、私が部屋着のまま外へ出て、しばらく庭の雑草抜きをして玄関に戻ったら、ひいがやけに切なそうな風情でクウクウ啼いて、まるで何時間も外出して帰ってきたときのようにすがりついて離れなかった。
 ひいは私が遠出をするときの着替えなど支度の手順を知っているので、これが仇となって、せいぜい一、二分で戻ってくるはずなのにおかしいと混乱したのだろう。
 これがいわゆる分離不安の症状かもしれないが、宅急便を受け取りに家に駆け戻ったときも、雑草抜きをしたときも、ひいのそばにオカアがいたではないか。ひいとオカアは仲がよいし、信頼関係もしっかりしている。しかも、私と妻がいっしょに買い物に出るなどしたときは、その間、留守番ができる。
 だから、赤ちゃんともうすぐ四歳を行ったり来たりしているとするほうがしっくりくるかもしれない。なにごともなければ、顔つきからしてがらりと変わってお嬢さんになりきり、余裕綽々、優雅に時を過ごしているのだし。
 ほら、人間にもこういう人はいるでしょう。

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