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女の子といっしょなんだな


 私は体がいかつい上にほぼ坊主頭で髭面のおっさんだから、小学生の女の子を見ただけで犯罪者にされる恐れがあり、視線をさっとそらさなければならない。まして首からカメラを提げているときは、視線がどこにあろうと通報されかねない。これは自意識過剰とか被害妄想でなく、世の男どもが少なからず感じていることだろう。つり革につかまって立っていただけで、目の前に座っている若い女性から痴漢よばわりされたので、何が起こっても不思議ではないと考えざるを得ない。
 こうしていても、家を出ればあちこちで小学生の女の子の姿が目に止まる。気分の高揚のしかたや、寂しそうなときの素振りが、ひいに似ているとつくづく感じる。小学生の女の子が犬と同じと言いたいわけではない。犬にも心があり、心は人のそれと似ていると思わずにはいられないのだ。ひいは女の仔なんだな、と。
 女らしさなどというものは、時代や国が違えば内容が変わるあてにならないものだ。しかし、闘争より共感を求める点や、雄族に特有のガサツさがないことで、ひいは女の仔らしいと男の私は感じる。これまで身近にいた雄の犬とは、あきらかに違う。野蛮な雄族は雄族なりに、自らの雑さ加減を自覚しているのだ。女から見た男、女から見た女と別物だろうけれど。
「すぐ帰ってくるよ」とひいに声をかけ、片道十分とかからない場所へ買い物に出かけた。いつものことであるし、何か気がかりがあったわけでなく、オカアにわがまま言うなよくらいの挨拶だ。
 家に戻ってくると、カーポートにひいのおしっこのあとがあった。平和なものだと玄関に入ると、家を出たときと雰囲気が違う。妻に問うと、ひいが表へ行きたいと言うのでドアを開けたら、私のあとを追うように道に出てずっと心配そうにしていたというのだ。敷地の中では、ひいにリードは着けない。なぜなら、怖がりのひいは何があってもカーポートから外へ出て行こうとしないからだ。人やクルマがそうそう通らない道だからまだよかったものの、危ないところだった。気をつけなくては。
 なぜ、ひいはいつもと違う大胆な行動に出たのか。
 ここのところ調子が悪い日が続き、私はぐったりしている。体がだるいのもあるが、気持ちがひどく落ち込む。これまでもなぐさめるように寄り添ってくるなど、ひいは私がいつもの私でないことを察していた。オトウは無事に帰ってこれないかもしれない、と気が気ではなかったかと想像される。
 以前、共に家の中で暮らしていた白い雑種犬のダーリンは、私が反抗期で情緒が不安定だったとき、賢い犬だったから異変に気付いていたと思われるが、ひいのように心配を態度で表さなかった。男が男にするみたいに、どうしたらよいかわからず、わかっても距離を置くほかにやれることはないと諦めていたようだ。これもまた、正しい態度だったのかもしれない。
 ひいにとって私は何者なのか謎で、ボスであるのは間違いなさそうだが、彼女は単なる下っ端なのか、子供のつもりなのか、このほかの何かなのかよくわからない。はっきり感じられるのは、オトウは雄で、自分が雌であると自覚できている様子だけだ。
 誰かがひいの中に入っていると思うこともある。運動会の日に心臓発作が原因となり小学生で亡くなった父の姉、つまり私のおばさんが輪廻転生してきて、生きていれば体験できた娘時代を味わっているのかもしれない。どうせだったら、甥っ子のところへ行ってやろうかと。科学的にあり得ない話だから、ちょっと気になるくらいの思いで、まあこれくらいひいは人間の女性と共通する心があるという話だ。
 仏教徒である私は、毎朝、古い観音像に線香を手向ける。やたら昔から続く家系なので、そのなごりのようなものだ。手を合わせるとき、徳川家康が藤原氏の末裔松平を名乗っていたときから家臣だった、綿々と続く先祖を思い浮かべる。
「おばさん、もしかしてすぐそばまできてるのですか。心配をかけて、ごめんなさい」
 もちろん、返事はない。

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