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男の子じゃないんです


 妻がひいの似顔絵を描くと、どれも男の子に見える。
 以前、ドッグランで「シェパードの仔ですか?」と声をかけられて、「いやいや雑種で、もう成犬なんです」と答えたときも、話の流れからどうも男の子と思われているみたいだった。だから訊かれてもいないのに、「女の子なんですよ」と付け加えた。
 口が黒いことが、ひいを男の子に見せているようだ。
 それでなくても世の中では、犬は男の子、猫は女の子に喩えられる。
 しかし、ひいはれっきとした女の子として犬界の端っこではもてもてだ。
 お隣の家の通称パックンチョ兄弟は散歩道でひいと出くわすと、二匹揃って立ち止まりフセをして動かなくなる。なぜフセなのか。どうして、犬語で「遊ぼうよ」の意味のプレイバウではないのか。
 フセは優位のものに出会ったときの体勢らしいが、やや年上とはいえびびり屋のひいがパックンチョ兄弟より優位というのは変だ。
 フセの理由をパックンチョ兄弟と同じ男族として考えてみたのだが、前足をかがめてお尻を持ち上げるプレイバウでは勢いがありすぎるので、ひいを脅かさないようにしているとしか思えない。つまりレディーに気に入られるためひかえめに、しかしここから動かないと猛烈にアピールしているのだろう。そこまでされても、ひいは怖がっているだけなのだが。
 犬からだけでなく、私から見てもひいはやはり女の子だなと感じる。
 私と妻、つまり群れの男と女への態度に違いがあって、妻には何歳になっても子供か妹のように甘え、私には第二夫人として甘え頼っているらしきところがある。
 体を密着させてくるとき私にはしなだれかかるようであり、見つめてくる瞳にもやけに感情がこもっている。以前の雄の飼い犬たちは、群れのボスであった父にこのような様子ではなかった。
 これは、ひいに対してこうあってほしいと願う私の気持ちが見せる幻だろうか。ひらたく言えば「あの子は俺に気がある」というアホな男の思い込みかと自問自答してみたが、若いときこうして散々痛い目にあってきた反省はあるし、ひいの私への態度は妻も認めるところだ。
 こんなことを書いていると、人間の女の子に相手にされなくなった中年男の悲哀ばかりが漂うので、このあたりでやめておく。
 でもやっぱり、ひいは男の子じゃないんです。

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