スキップしてメイン コンテンツに移動

どこまで行っても平行線


 若かった日々に戻りたいか。もし小箱に年齢相応の経験を詰めて過去に持って行けるとしても、勘弁してもらいたい。いま知っている失敗や後悔や恥が多少は役立つかもしれないが、また別のやっかいなものごとに悩んだり苦しんだりするにきまっている。
 そんなことはない、と思うなら恋について考えてみればよい。
 歳の数だけ生きてきたぶんの経験があっても、恋を思うがままに操れるようにはならないはずだ。恋が突拍子もない喩えと思うなら、いくら家族を愛していても、自分の愛が相手に丸ごと伝わり、相手の愛を漏らさず受け取れるものではないのを思い出すと自ずと答えは出るだろう。
 だから、離婚を経験した後に妻と出会えたことは稀にみる奇跡だったと私は思う。そしていま、妻とひいと群れをこしらえて生きていられるなんて、一炊の夢だったとしても不思議ではない気がする。
 若い日の恋を振り返ると、同棲しているわけでなければ、別々に過ごす時間のほうがはるかに長かったことがわかる。これが苦しみの根っこだった。会えない時間こそ恋愛の醍醐味と笑って言える人がいるとしたら、遠い日のできごとを美しく脚色しているのだろう。恋人と会えない状況は、他人は自分と違う時間を生きているもの、別々の人生を抱えているものといった、ひどく冷酷な現実を突きつけてくる。こんな経験をくり返しても、「自分」と「誰か」はどこまで行っても別者と理屈として憶えたにすぎず、なかなか道理として身に付くものではない。
 小箱に収めた年齢相応の経験なんて、この程度のもの。
 ひいは私のあとを始終ついてまわるが、それでも四六時中べったりくっついているわけではない。私がどこかに出かければ家を空けることになるし、家にいても彼女だけで過ごさなければならない時間はある。ひいがやっとオトウが帰ってきたと興奮して面倒なくらいはしゃいだり、前触れなくやたら甘えたりするのは、群れの一体感を信じるがゆえに、オトウが所有している時間と自らの時間の区別が割り切れず、葛藤しているからではないだろうか。これは、恋人を自分と半ば一体のものと勘違いし、相手が目の前にいないだけ、手の届かない所にいるだけで心が揺れ動くのと似ている。恋人を家族に置き換えてもよいだろう。人が理屈としてわかっているだけ、なのと同じだ。
 人と人、人と犬、犬と犬、どの人生もどこまで行っても平行線で、交わることはない。ただ平行線とはいえ、あまりに離れたところを歩んでいる別の人生もある。こうなると、その者を一生知らずに過ごし、たとえつかの間、人生が近づいても忘却のかなたの人となる。それはそれで、知らない、忘れたと気が楽なものだ。
 平行線同士の距離は近ければ近いほど難儀なもので、しかし好きあえば近づかないと収まらない。ぽつんと人生が孤立して、桃源郷の仙人のようにすがすがしく生きられる者はいないだろう。そもそも、霞を食べるだけで生きられる者などいるはずがない。
 今日も我が家の三つの平行線は、これといった波瀾万丈はなくとも試行錯誤を繰り返す。それぞれ別々のものに気づき、別々の方法でひっそり解決しようとする。ひっそりのつもりが、思いのほか目立ってしまうこともあるだろう。解決できずに、持ち越されるものもあるかもしれない。こうして平常運転は続く。

コメント

このブログの人気の投稿

急病かと慌てる

 昨夜、夕飯を食べていたら、テーブルの下からカチャカチャとひいの爪が床に触れる音がし、それは聞き慣れたものと明らかに違った。滑っているような、必死に体勢を立て直そうとしているような気配に嫌なものを感じ、覗き込んでみると、腰砕けになりそうになって後ろ脚を振るわせながら持ちこたえているひいの姿があった。 「なにか変なもの食べた?」  不安に満ちた妻の第一声に、何ごとが起こったか理解できず呆然としていた私は頭から冷水をかけられたような気がした。  椅子から離れ床にしゃがんでひいと目線を合わせると、後ろ脚が麻痺して自由が利かない不自然な歩きかたでひいがテーブルの下から出てきた。時計を見上げる。診療時間は終わっているが、動物病院にまだ誰かがいてもおかしくない時刻だった。動物病院の診察券に記された番号に電話をかける。 「186をつけるか、番号通知電話からお電話ください」  と機械の声がした。  186をつけてみたが、留守電になっている。 「私、走って行って、診てもらえるように頼んでくる」  妻が携帯電話を手に取り家を飛び出した。  ひいはなんとかソファーにあがり、お座りをした。どうしたんだ、ひい。しびれるのか、痛いのか、それとも苦しいのか。私は問いかけつつ、ひいを見守るほかなかった。なかなか妻から連絡がない。かかりつけの動物病院まで、歩いても五分といった所だ。先生と交渉をしているのだろうか。こんなことならと、ひいを抱いて私も動物病院に行こうとしていると妻が戻ってきた。 「今日、水曜だった。休診日」  私たちは曜日すら忘れ焦っていたのだ。  ひいはソファーの上を行ったり来たりしている。もう麻痺している様子はない。しかし、安心してよいとは思えなかった。私は表に出てクルマに乗り込み、カーナビに動物の夜間診療所の住所を打ち込んだ。いつか必要になるかもしれないと保管していた夜間診療所のパンフレットが手元にあるとはいえ、新型とは言い難いカーナビの反応が遅く住所の打ち込みが捗らない。くそったれ。いつも右へ曲がれ、左斜め側道に入れ、直進しろなどと何もかも知り尽くしているような態度のくせして、肝心な時、おまえはなんでこうも役立たずなんだ。  クルマに乗り込みエンジンをかけたせいで、ひいは私がどこか遠くへ行ってしまうと思ったらしく、一緒に乗りたいとクルマの周囲を...

新しい年も私はぬくぬく寝て過ごします

 内外騒がしい中、朝のコーヒーが自宅で飲めて、夜は布団で眠れることを幸せと思わなくてはならないだろう。気分は重くすぐれないが、妻は笑いかけてくれ、ひいは私に寄り添って眠ってくれる。  正月の支度に一生懸命になっていた頃は、カレンダーが更新される日をなぜあれほど一大事と考えていたのだろう。いったい一月が訪れて暦以外に何が変わるというのか。地球の公転は止まる気配すらないというのに。  と言いながらも、小さな鏡餅を供え、小さなしめ縄を玄関のドアに掛ける。この家とこの家の住人である私と妻とひいのために。そして祈る、私はどうなっても構わないが、妻とひいが健康でありますように、と。  ひいはベッドの上、布団に自分の巣をつくってまどろんでいる。  年末も来る正月も関係なく、ひいは健やかに過ごしている。ありがとう、ひい。私たちの群れに欠かせない、ひい。私がかろうじて正気を保っているのは、おまえがそばにいてくれるからだ。もうすぐカレンダーを掛け替える日がくるが、その新しいカレンダーが終わる日までの一年もひいが安心して暮らせますように。

ごめんなさいです

 ひいの成長を振り返ると、まだ幼児なのだとはっきりわかった我が家にきた当時、いろいろなことを学習したけれど行動に幼さがあった時期、大人である私たち夫婦から見て無駄な行動がなくなった時期、そして六歳ともなると人間の大人がそうであるように性格がはっきりして変えようのないものになり、持って生まれた遺伝と生育環境との関係を飼い主なりに考えさせられる。ひいは甘ったれで、私に対する甘えは自分が群れの一員として認められ尊重されている証とでも思っているらしく、ときに強く我を通そうとする態度となって現れる。  先日までオカアは体調を崩していたので、ひいはこれを鋭く察知し我が儘を我慢していたようだった。オカアの体調がよくなると、これまた鋭く察知し、私に対して「外へ行きたい!」などと強い態度で要求しはじめた。「外へ行きたい!」は小便をしたいとほぼ同義なので、そのつもりでドアを開けてやるのだがあっちへふらふら、こっちへふらふらするだけ。暑い日盛りに長々とやるようなものではないから、ひいを家に入れる。すると私が何かに取りかかろうとするタイミングを見計らったように、「外へ行きたい!」だ。つまり、愛情確認。いかにオトウが反応するかで、自分が愛されていることを確認したいだけなのだ。  もし私が「外へ行きたい!」を無視すると、ひいはイライラしてくるらしくワンと吠える。「気付いてよ!」である。これで私がひいの願いをかなえてドアを開けてやっても、あっちへふらふら、こっちへふらふらするだけ。これでは駄目だと思い、私はひいを叱り、ケージの中に入れて放置した。その後ケージから出したが、要求を拒み続けた。  するとようやく自らの我が儘な愛情確認が引き起こした事態に思い至ったようで、私と微妙な距離を取り悲しげな後悔の顔をした。そこで「我が儘は駄目だ」と言いつつ、ひいを撫でてやった。ひいとしては自己嫌悪に陥っていたらしく、距離を取り悲しげな後悔の顔をするのが夜まで続いた。  夜がふけ、私がベッドに寝そべるとすかさずひいは布団にもぐり込んできてぴったり体をくっつけてきた。そして、私が寝返りを打って姿勢を変えるたび、なんとかして体を密着させようとし続けた。 「ごめんなさいです」  のつもりであり、こうして愛情を別のかたちで確認していたのだろう。  たぶん私がひいを甘やかしすぎたのだ...