ごくごく普通の住宅街の、とある一軒が空き家になった。これだけで界隈の生態系が激変するなんて言ったら、大袈裟すぎると笑われるのがオチだ。私だって住人がいなくなった三年ほど前、どこかから放火魔がやってきて目を付けられたら嫌だなと不安を覚えても、生態系の「生」の字すら思い浮かべることはなかった。
この空き家の周囲でしばしば猫と遭遇するようになった。住人がいなければ家の中に入れなくとも敷地内で安心して休んだり眠ったりできるのだろう。そして、この猫はいつの間にか子連れになっていた。そうこうしているうちに、あれよあれよという間に猫が増え続け、発情期になるとあっちでギャー、こっちでウニャーと壮絶な声が轟く日々である。
ご町内の人口密度ならぬ猫密度がかなり高まっているらしく、新天地開拓や縄張り拡張の野望を持って徘徊する猫同士の鉢合わせで、喧嘩は昼夜を問わず繰り広げられる諍い。そして喧嘩の勝者である大きなトラ猫が、我が家と隣家を別荘地として占領した。丸々と肥えているので、どこかに本宅があって餌をもらっているのだろう。
ある夜、外へ出ようとドアを開けると玄関脇の物入れの上から黒い影が素早く飛び退いた。その場の薄暗さとあまりの敏捷さに何がなんだかわからなかったが、遠ざかって行く姿は間違いなくあのトラ猫だった。家の中に犬がいてもおかましなし。犬なんて、猫のすばしっこさと跳躍力があれば追いつけるはずがない、と自惚れているのだ。ひいも猫全般に悪感情がないから、自分のテリトリー内、いや巣の周囲で昼寝をしたり夕暮れにまったり休んでいたりする分にはどうでもよかったらしく吠え声ひとつあげなかった。
だが、このできごとの直後からひいにイライラが募ってきたのが見てとれる。昼寝だけでなく、カーポートに停めてあるクルマの下に食べたものを吐いたり、糞をされたのはさすがに頭にきたようだ。巣を汚されてはたまらない。そりゃそうだろう。
ひいはしばしば、
(気になります!)
と外に出してくれと要求するようになった。クルマの周りをあっちをクンクン、こっちをクンクン探って何周もする。まるで整備工のようにクルマの下へもぐり込もうとまでする。
ついに、我が家に猫の赤ん坊が五匹登場する夢を妻が見るに至った。「このままにはできないし」と言い、私が動物病院へ連れて行こうと提案したのだそうだ。夢の中で私たちは猫の赤ん坊をそれぞれ抱きかかえ、動物病院に向かいながら「餌やらなにやらお金も手間もかかる」とこぼしていたという。
トラ猫に餌を与え、ときに家の中に入れているらしい家を半ば特定したのだけど、そうしているという確証はなく、「飼うなら飼う、外猫にするなら去勢を」と意見するには至っていない。あの大きな颱風の日から、くだんの猫が姿を見せていないのも、たとえ目撃していないだけであったとしても、どうにもこうにもできない理由のひとつとなっている。
もしかしたら、凄まじい風と雨に打たれ命を落としたのかもしれない。こんなふうに、生態系の変化がもたらしたものが私もとても気になってしかたない。
コメント
コメントを投稿