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新しい年も私はぬくぬく寝て過ごします

 内外騒がしい中、朝のコーヒーが自宅で飲めて、夜は布団で眠れることを幸せと思わなくてはならないだろう。気分は重くすぐれないが、妻は笑いかけてくれ、ひいは私に寄り添って眠ってくれる。  正月の支度に一生懸命になっていた頃は、カレンダーが更新される日をなぜあれほど一大事と考えていたのだろう。いったい一月が訪れて暦以外に何が変わるというのか。地球の公転は止まる気配すらないというのに。  と言いながらも、小さな鏡餅を供え、小さなしめ縄を玄関のドアに掛ける。この家とこの家の住人である私と妻とひいのために。そして祈る、私はどうなっても構わないが、妻とひいが健康でありますように、と。  ひいはベッドの上、布団に自分の巣をつくってまどろんでいる。  年末も来る正月も関係なく、ひいは健やかに過ごしている。ありがとう、ひい。私たちの群れに欠かせない、ひい。私がかろうじて正気を保っているのは、おまえがそばにいてくれるからだ。もうすぐカレンダーを掛け替える日がくるが、その新しいカレンダーが終わる日までの一年もひいが安心して暮らせますように。

メリークリスマス、Ms. ひー

 子供の頃から、クリスマスは特別な日に違いないのだが、さほど重要な感じはしなかった。私にとってメリークリスマスの言葉が心にしみたのは、新潟に住んでいたとき夕暮れからとつぜん小雪が降り出し暖房の熱で窓ガラスが一瞬にして真っ白になった日と、月並みだが映画「戦場のメリークリスマス」でビートたけしが演じた坊主頭のハラが〈 Lawrence 〉と大声で呼びかけ、〈 Merry Christmas, Mr.Lawrence 〉と日本語そのままの発音で言ったシーンの二つだ。  ハラは明日、処刑される。しかし、ハラのみならずこの世のすべてが赦された瞬間だ。一九八三年の公開当時、私にはよく意味のわからなかったハラの「メリークリスマス」だが、いまは胸をえぐると共に遠いところに気配として漂う安堵の存在が確信される。  いろいろなことが私にも妻にもあった今年のクリスマスイブだったが、それは日常の枠の中の出来事で特別なものではなかった。それは、ひいにとっても同じだったろう。犬用のクリスマスケーキもプレゼントも私たちは用意しなかった。しかし、私たちの群れが一緒に何ごともなく一日を過ごせたことを「特別ではない」と言える幸せを噛み締めなければならない。  メリークリスマス、ひい。メリークリスマス、疲れ果てた世界。メリークリスマス、人間たち。

私、気になります(その2)

 ごくごく普通の住宅街の、とある一軒が空き家になった。これだけで界隈の生態系が激変するなんて言ったら、大袈裟すぎると笑われるのがオチだ。私だって住人がいなくなった三年ほど前、どこかから放火魔がやってきて目を付けられたら嫌だなと不安を覚えても、生態系の「生」の字すら思い浮かべることはなかった。  この空き家の周囲でしばしば猫と遭遇するようになった。住人がいなければ家の中に入れなくとも敷地内で安心して休んだり眠ったりできるのだろう。そして、この猫はいつの間にか子連れになっていた。そうこうしているうちに、あれよあれよという間に猫が増え続け、発情期になるとあっちでギャー、こっちでウニャーと壮絶な声が轟く日々である。  ご町内の人口密度ならぬ猫密度がかなり高まっているらしく、新天地開拓や縄張り拡張の野望を持って徘徊する猫同士の鉢合わせで、喧嘩は昼夜を問わず繰り広げられる諍い。そして喧嘩の勝者である大きなトラ猫が、我が家と隣家を別荘地として占領した。丸々と肥えているので、どこかに本宅があって餌をもらっているのだろう。  ある夜、外へ出ようとドアを開けると玄関脇の物入れの上から黒い影が素早く飛び退いた。その場の薄暗さとあまりの敏捷さに何がなんだかわからなかったが、遠ざかって行く姿は間違いなくあのトラ猫だった。家の中に犬がいてもおかましなし。犬なんて、猫のすばしっこさと跳躍力があれば追いつけるはずがない、と自惚れているのだ。ひいも猫全般に悪感情がないから、自分のテリトリー内、いや巣の周囲で昼寝をしたり夕暮れにまったり休んでいたりする分にはどうでもよかったらしく吠え声ひとつあげなかった。  だが、このできごとの直後からひいにイライラが募ってきたのが見てとれる。昼寝だけでなく、カーポートに停めてあるクルマの下に食べたものを吐いたり、糞をされたのはさすがに頭にきたようだ。巣を汚されてはたまらない。そりゃそうだろう。  ひいはしばしば、 (気になります!)  と外に出してくれと要求するようになった。クルマの周りをあっちをクンクン、こっちをクンクン探って何周もする。まるで整備工のようにクルマの下へもぐり込もうとまでする。  ついに、我が家に猫の赤ん坊が五匹登場する夢を妻が見るに至った。「このままにはできないし」と言い、私が動物病院へ連れて行こうと提案したのだそうだ。夢の中で私たちは猫の

私、気になります(その1)

 誰かが千葉県富里の動物愛護センターに持ち込んだ乳飲み仔四頭のうちの一匹がひいだから、本当の誕生日はわからない。ただし、逆算すると十月のはじめ辺りに生まれたようで、こうなると天秤座生まれであるのは間違いなさそうだし、私の誕生日と同じ十月二日を誕生日とすることにした。  今年の誕生祝いは、温泉卵を餌に入れてあげること、そして首輪を新調することと決めていた。しかし、目をつけていたてんとう虫の刺繍のチロリアンテープを使った首輪は売り切れで注文製作になり、昨日、やっと手にすることができた。  家に戻ってペットショップの袋から、ついでに買ったおやつと新しい首輪を取り出すと、いつもならおやつに興味津々なひいが食べ物には見向きもせず、(気になります!)とまっすぐ首輪に向かって行った。  さらにてんとう虫の刺繍の首輪をつけると、モデルよろしく私と妻に見せびらかすように歩いた。私がこの場を離れると、自室まで追いかけてきて飛びつき、(もっと見て! 新しいの見て!)と居間に呼び戻らされた。私たちのうれしさが自分の首輪にこもっているのがわかるのか、それとも自分だけのものをもらった喜びなのか、とにかくひいはてんとう虫の刺繍の首輪の意味を理解しているらしい。  仔犬はたしかにかわいい。でも、人と暮らし続け気持ちを互いに解りあえるようになったそれなりの歳の犬は、さらにかわいいものだ。    

てへぺろと犬は笑う

 居間に行ったひいが一匹だけで何をしているのか好奇心をそそられた。  カメラを持って足音を忍ばせドアの陰から居間にレンズを向けると、ひいは電源が入っていないテレビのほうを見てぼうっとしていた。レンズの視線に注視されている気配に気付いたのか、こちらを振り返ったひいは驚きと恥ずかしさを誤摩化すようにてへぺろっと笑った。  野生のオオカミは笑わない。そもそも顔の筋肉の発達のしかたが人間と違うのだから笑顔をつくれないと言うべきか。しかし、犬は笑う。顔のつくりのせいか柴犬はしょっちゅう笑っているように見える。犬は人間と数万年も一緒に暮らしてきたため、笑顔をつくれるはずのない筋肉で笑顔を真似るようになったとされている。群れで生きる動物にとって感情表現は重要だから、筋肉や骨格の違いを超えて笑い顔を習得したのだろう。  ひいは顔の幅が狭くマズルが長くて、眼は丸っこいアーモンド型なので、柴犬のように口角がきゅっと上がり眼を細めた満面の笑みにはならない。それでも私や妻には、日頃の表情との違いがはっきりわかる。 「なに笑ってんだよ」  と訊きたくなるときがある。  まあ哀しい表情をされるより、よっぽどうれしいのではあるが。  ところで、笑えるはずのない表情筋を使って笑う犬を、人間はかわいいと喜ぶだけでよいのだろうか。遺伝子的に野生のオオカミの変種にすぎないが、犬の心は人間にとても近づいているのだろう。そしていまでも、人間により近づこうとしているに違いない。表情や行動を取り入れ、言葉の意味もかなり憶えている。そんなに野生から遠のいて、いいのかい。  人間て、君たちにとって真似したくなるほどいいものなのかい。  オトウは人間であることに疲れたから、ひいよりちょっと大きめの犬になって、おまえとゆったり暮らしたいと思っているのだが。

オトウがいない

 台風一過の晴れ渡った日の午後、私は思い立って洗車に出かけた。  近場のガソリンスタンドにセルフ洗車機があり、お金を入れていろいろな洗いかたやコーティング剤をかけるかどうかまで選べる。手洗い洗車より格段に安いし、やることといったらクルマを洗車機が指定した位置まで進め、水流とブラシに包み込まれるのを車内で待つだけだから、多少の出費はあっても自宅で洗うよりそうとう簡単だ。しかも、自分で洗車するより仕上がりがよい。  猛威をふるった颱風で汚れたクルマが多かったとみえ、セルフ洗車機を使おうとする人が多かった。しかも直前のお客である初老の女性が機械の使い方がわからないらしく、店員を呼んできても説明がなかなかのみ込めず、あっという間に予定していた帰宅時刻よりだいぶ遅れた。  帰ってきた私をひいが歓迎の舞で迎えてくれるのはいつものことだが、自室の机に向かうとぴったりそばを離れないばかりか、くぅくぅと切ない声をあげた。おしっこを外でしたいと懇願されているのかと思い玄関のドアを開けてやっても内と外をいったりきたりで態度がはっきりしない。  もしかして、あれか。 「いつものネンネしたいの? オトウとネンネ?」  ひいは(その通り)とぶるっと身震いした。そして書架で仕切られた寝室のほうを向いてこちらを振り返る。午睡する気分ではないがベッドに横たわると、ひいは飛び乗ってきて体をぴったり合わせるやぱたんと寝転んだ。私が昼食のあと一休みする習慣を知っていて、この憩いのときを共にするのがひいにとって重要なのだ。  数日後、私は朝早くから出かける用事があり家を昼頃まで空けた。  この日の喜びの舞は異常なくらいだった。妻によれば、これまでなら寝室のベッドや妻の自室で横たわって私の帰りを待っているのに、家中をうろうろ、玄関の前に行ってみたり、一階と二階を行き来してみたりだったそうだ。あまりに落ち着きがなく不安そうであったため、妻はひいをケージに入れて冷静さを取り戻させようとまでした。ここにオトウが帰ってきたわけだ。  いつにない動揺ぶりは、たぶん洗車した日の影響ではないか。  ひいは私や妻、私と妻の外出の様々なパターンを知っている。例えばケージに入れられ、私と妻が共にクルマで出かければ数時間以内に帰ってくるなど。ところが私だけがクルマで出かけた場合は時間が読めない。さらにクル

美人の条件

 美人について考える。美しい人の条件であるから男女を問わない。おやおや、この前提に違和感を覚えますか。私は闘うフェミニストではないから、なんでもかんでも男と女は同じと考えていない。「美人」という言葉に性の違いを含む語が含まれていないから、単純に男女問わずとしてみただけだ。  顔貌を美人の条件として第一に挙げるのは間違いではないが、これだけに限って美人を語るのは美人を卑しめることにならないだろうかと思っている。さらに時代とともに美人とされる顔の基準は明らかに変わる。高松塚古墳に描かれていた麗人の像は、当時の美人。引目鉤鼻は、平安から鎌倉時代の理想像。武人像も同様。浮世絵の美人画や役者絵ももまた、眉目秀麗に現実を誇張したもので、いまだったら萌え絵に喩えられるだろう。だかしかし、このような昔の人が街を歩いていても現代人は美人とは呼ばないだろう。顔の評価は流行に左右される。  したがって現代の美人さんは、生まれてくる時代がよかった運のよい人である。江戸後期から明治時代に撮影された芸妓や役者の古写真を観ると、かなり現代人の美人の基準に近づいているか一致している。とはいえファニーフェイスの美人というものはかなり最近の流行りで、しかもファニーさの基準はころころ変わる。  人を見た目で判断したらだめですよと言われるけれど、いっこうに改善されないところをみると、顔は大切なもので、第一印象は顔くらいしか判断材料がないのである。いやいや優しさのオーラが出てます、という言うもいるだろう。でもオーラって何? 初対面が素っ裸なんてほぼあり得ないのだから、オーラが存在するなら顔貌から滲み出しているのではないか。  顔貌を美人の条件として第一に挙げ、これに限って美人と判定することが当人を卑しめることになるのは、単に流行の顔か否かという問題だけでなく、優しさのオーラとか強さのオーラとかの発信地について考慮されていないからだ。美人だけれど卑しさを感じる人もいるではないか。果たして、このような人物を美人としてよいのだろうかという疑問がある。  なぜなら仕事柄、テレビなどに出てくる世の中から美人と呼ばれる人と面と向かう機会が多数あったが、この人たちが大っぴらに見せているものは演じられた上の性格であり、オーラの切り替えができる人たちだからタレントなのであって、素がなかなか意地悪な人とも数多く接してきた

もふもふの功罪

   犬から怖い思いをさせられたことがあったり、動物は不潔だと感じていたりと、犬嫌いにもいろいろある。妻だって、道ばたで出くわした犬の吠え声に怯え、知り合いの飼い犬にもこわごわ手を差し伸べていたという。ところがひいと暮らし、犬とはどのようなものか知るに至り、もふもふした被毛を撫でるのが最上の喜びとなった。  と書いてふと思ったのだが、もふもふという言葉は皆に通じるものなのだろうか。もふもふとは、動物のふわふわした毛の様子や手触り感、さらにはその動物がいる快適さやかわいさまで言い表すため数年前から使われるようになったもので、同じようにふかもふも使われる。しばしば、動物そのものをもふもふ、ふかもふとも呼ぶ。これで「もふもふ」を説明できたと思うので、ここからは特に意識せずこの言葉を使って行く。  ところで、「犬は不潔派」の人々はたぶん終生、犬嫌いのままなのではないか。  最近は盲導犬が電車に乗っている姿をしばしば見かける。訓練のたまもので大人しいうえに、被毛が落ちないよう服を着ている。それでも、やっかいなものが乗ってるとばかりに目つきが変わる人がいる。新聞社がやっている猛々しくやかましいことで有名な人生相談掲示板で、誰かが荒れることを目的に書いたいたずらだとしても、犬のいる家の人がパーティーにもってくる食べ物は汚そうで勘弁してほしいとか、犬のいる家に呼ばれて食事なんてできないなどという話題が登場し、批判者がいる一方で賛同の声が集まる。  本日の写真は、今夏、アンダーコートを梳くファーミネーターを使って取れたひいの毛だ。ぎゅっと固めてなければ、かさがもっとある。これがもふもふの元であるわけで、大して羊毛と違いはないし、なによりひいのものだから私と妻はもっと溜め込んでフェルトをつくろうとしているが、「犬は不潔派」の人々には気が狂ってるとしか思えないだろう。いくらシャンプーで洗浄後にフェルトにすると言っても嫌悪感は拭えないはずだ。私も妻も、このような人々の気持ちを察し否定する気はないので、こうして写真でしかお見せできないのである。  ひいのもふもふは私たちにとっては功ばかり、嫌いな人にとっては罪ばかりな訳だ。  いやいや私たちにとって罪の部分もある。ひいを撫でたり、ぴったり身を寄せているともふもふのせいで時が経つのを忘れ、やらなければならないことを忘れてしまう。眠くな

怖いもの知らずだったのは昔のこと

 せっかちなのは生まれつきだが、20代いっぱいまで怖いもの知らずで思慮が浅さく軽挙妄動が常だった自らに今になって赤面する。軽挙妄動の癖は治らなかったが、世の中、怖いものばかりとなった。人が怖い、もっとも怖い。お金が怖い。死が怖い。幸せなときはいつか必ず終わる、と怖い。  犬たちは雷を怖がると言われるが、これまでひいはどんな雷雨も恐れなかった。過日、颱風が衰え生じた熱帯低気圧によって日本中が荒らしまくられたとき、我が家の周囲もまるで機銃掃射を受けたみたいな雷と雨に見舞われた。この日、はじめてひいは雷鳴に怯えた。いつもならベッドで寝転がっているところなのに、私の足下、机の下に入り込み身を縮めていた。  犬の先祖であるオオカミは斜面などに穴を掘って巣穴としていた。雷は雨の先触れであり、豪雨となれば土が崩れ生き埋めになる者もいたことであろう。体が濡れて冷えれば、病や死に結びつく。かつて飼っていた白い雑種犬のダーリンは、正月がくるからと風呂で洗ったら、よく乾かしたつもりだったが冷えが体力を一気に奪い寝たきりとなり、死のきっかけとなった。犬が雷や雨を嫌うのは、本能に刻まれた過去の記憶が呼び起こされるからなのだろう。  そう言えば311の日から、ひいは地震を怖れるようになった。スマートフォンが知らせるだけで体には感じられないほどの揺れであっても、なぜか感知することができる。さらに、遠いところで起こるP波と呼ばれる初期微動がわかるのか、大きく揺れる前に警戒の声を「ワン」と上げ、地震が嫌いなオカアのもとへ駆けて行く。オカアはひいを抱きしめ、ひいは怯えた目をして揺れが収まるのを待つ。あの春先の震災の揺れと、その後に起こった群れの中の混乱を忘れられないようだ。  こうして、ひいの怖いものが増えて行くのかもしれない。  これは同時に、いろいろなものごとを覚えたことになるのだろう。五歳を過ぎて、年齢換算はあてにならないとはいえ、少なくとも青春の時期は終わりを迎え自らの弱さを知るに至ったのかもしれない。私と同じように。  本日、夕刻から雷雨。  雨は収まってきたが、遠雷が轟く。  ひいは机の下。私は椅子の脚の車輪でひいを轢かないようにしている。どこかへ行こうとすればついてきて、(机の下のほうが怖くないのに)という眼をするので部屋からは出ない。  小学二年生まで私は死なんて考えたこともなか

愛されてばかりいると星になるよ

 本日のひいの写真はウォン・カーウァイ監督作などで撮影監督をしてるクリストファー・ドイル調にしてみた。カーウァイの『花様年華』をイメージしたつもりだけれど、嗚呼、なんか違うな。なぜこんな真似をしたくなかったかと言えば、ウォン・カーウァイの作品に通底する愛について思いをめぐらしていたからである。  人が心に抱く愛の念と、犬の話がいかに関係しているのか。それは、ひいが特殊な暮らしをしている犬であることから説明しなければならないだろう。  人間のオトウとオカアと一日中過ごし、もちろん眠るときも一緒。いつも互いがそばに居ると限らないが、ひいの本拠地というか巣はベッドで、そのベッドは私の部屋と天井まで届く本棚で区切られた部屋にあるから、つねに気配が伝わっていることだろう。  女の仔のひいが、こうして暮らし続けた結果どうなったか。  妻と話し込んでいるとき、ひいは急に私に飛びついて歓心を引こうとする。何か要求があるのか、その状況で考え得る行動に移すが彼女は満足しない。度々このようなことがあって、単にオトウを振り向かせたいためだけにやっているとわかった。  妻が肩こりで悩んでいるときマッサージをすると、ひいは私たちから目を逸らす。必ず、そうする。ちょっといじけた雰囲気を漂わせているので、妻への肩たたきを終えたあと、ひいを念入りに撫でてやらなければならない気持ちになる。  我が家でのひいのポジションは、永遠の赤ん坊である。何らかの責任や使命を押し付けられることなく、かわいがられ守られ続ける群れの一員だ。使命はない代わりに私と妻の心のオアシスで、家族と愛し合いふれあいたい願望を受け止めてくれる係である。  だが、ひい自身は赤ん坊と大人の女の間で揺れ動いている。  オトウとオカアが男女つまり雄と雌であるのをひいが知っていることは何度も書いてきた。そこに、自分と人間は何か違うものらしいけれど、まったく違うものでなく、むしろ犬型をした他のものたちより人間に近い存在という感覚が加わっているみたいだ。もしかしたら、人間とはなんとなくかたちが違うだけと思っているのかもしれない。  群れのメンバーと愛し合いふれあいたい願望は、ひいも変わらない。ただし、そこに別の愛を求める気持ちが芽生えているようにも思える。考え過ぎだろうか。  もっと愛をちょうだい。その愛とは別の愛がほしい。もし人間の女性な

私の心はお見通し

 Little Feat というアメリカのバンドがあり、私はアルバムを揃えるほど好きなのだが、昨日までなぜ Little Feat のファンになったか忘れていた。どうして昨日、思い出したかといえば、矢野顕子のファーストアルバム「JAPANESE GIRL」を iTunes Store で買いなおしたからだ。一曲目から再生。絶妙としか表現しようがない伴奏だけでも堪能できる音とノリは Little Feat にしかなし得ないものだった。LPレコードで発売された当時「JAPANESE GIRL」のA面はアメリカンサイドとされバッキングは Little Feat が担当していて、ジャケットかライナーノーツに印刷されていたスタッフの名前から Little Feat を知ったのだ。なるほど、そうだったか。  ちなみに Little Feat の面々は小遣い稼ぎのつもりで日本からきた若い女の子の伴奏をするつもりだったらしい。ところがセッションがはじまるや矢野顕子の才能に打ちのめされ、自分たちのオリジナルアルバムを録音するほどの気力を振り絞り、すさまじい演奏で立ち向かった。だから、私は伴奏者が何者か気になったわけだ。ところがリーダーで名ギタリストの故ローウェル・ジョージは「申し訳ない、僕らは彼女の才能をフォローしきれなかった。ギャラはいらない」とプロデューサーに泣いて謝ったのだった。  話の本筋より長くなりそうなので Little Feat についてはここまでにする。 「JAPANESE GIRL」のA面二曲目は「クマ」というタイトルで、矢野顕子が飼っていた犬の名が題名となっていて、死んだこの犬のことを〈かわいい、おまえにゃ嘘はつけないわ。私の心はお見通し。〉と歌っている。  ひいもそうだよな、と思う。  過日、私が眠っている間中ずっとひいが体を押し付けてきていた。適度なら嬉しいことだけど、密着しようとするあまりぐいぐい体重を掛けてくるので私はベッドから落ちそうになる。だからといって、ひいを力任せに跳ね返せば彼女の心は傷つくのではないかと感じ熟睡できなかった。度を超したとき、私はベッドで眠るのをあきらめ居間に移ってソファーに横たわった。すると、ひいがやってきた。 「ここで寝るですか。ベッドで寝ないですか」  と問いかけてくる目をした。  おまえが邪魔で眠れない

56億7千万年めの彼女

 我が身を振り返って歳を取ったなと思うのは、やたらと豆腐や妻がつくるぬか漬けを旨いと感じ、子供のときあんなに嫌がっていたそうめんを食べたいと願っているときだ。しかし、心は幼いままで我が儘を抑えることができない。喜怒哀楽の喜びと楽しみは錆び付いてきたけれど、怒りと哀しさが気持ちを騒がせ自分を見失う。  人と煩わしく関わることはめっきり減ったけれど、私が気付かないだけで世の中との複雑な交わりに加わっているのは間違いなく、自分を見失ったとき様々な迷惑をかけていることだろう。  つい先日、玄関のドアの外に産まれたばかりとおぼしきカタツムリが殻に閉じこもって貼り付いていた。残暑の太陽が日がな一日当たり続ける場所ゆえ、このままでは乾ききって死ぬのではないかと気になった。見殺しにするのは殺生と変わらない。せめてもの罪の償いのため、カタツムリが乾かないよう水を掛け続けた。翌日の朝、カタツムリはその場所にいなかった。命を失うことなく、どこかへ行ったのだろう。  こんなことをしただけで地獄にいる私に、仏陀がクモの糸を垂らしてくれるなどと驕っているわけではない。私が犯した愚かな行いは無数であり、罪深さはいつまで経っても減らない住宅ローンの元金みたいなものだ。そして、愚行を繰り上げ返済できるものでもない。  こういう毎日を生きるのが、人というものではないのか。  しかし、私にはひいがいる。  ひいは私と妻と一緒に暮らしているだけの小さな生き物だが、彼女が生きている姿は私の荒みがちな心を穏やかにしてくれる。歩いているとき、食べているとき、ぴったり身を寄せてくるとき、眠っているときさえも。救いとは何かと問われれば、「ひいを見てください。それだけで十分です」と言い切る自信がある。  私にとって彼女は、56億7千万年の修行を経てこの世に現れた弥勒菩薩にも等しい。弥勒菩薩は修行中の名であるから、現世に姿を見せたときの名で呼べば弥勒仏である。56億7千万年とは、私の体が滅びた後のずっと先の時代だと思ってきたけれど、この身が救われる時とは今であり明日だったのだ。ひいとの出会いからの日々のことである。  ああ書き落として申し訳なかった、妻よ。あなたもまた私に取って菩薩だ。弥勒仏に囲まれて暮らす日々を嘆く私を、どうか許してくれ。

歯が磨けるようになったのです

  人間にとってのあたりまえが、犬にとってあたりまえとは限らない。  風呂に入って、爪を切って、歯磨きをするのが面倒なときはあれど、頑として拒む理由が私たちにはない。しかし、ひいにとっては大問題で、どれも大嫌いときている。  狂犬病の予防注射を打つため動物病院へ行った日、例年のように健康診断をしてもらった。 「お口の中はどうかな」  と先生がマズルをこじ開ける。 「歯石がちょっとついて──」先生が人差し指の爪を立てひいの奥歯に力をこめた。「ますね。ほら」  それは一瞬のことだった。ぽろりと歯石の固まりが診察台に落ちた。  奥歯の歯石は前々から気になっていた。子供用の歯ブラシを買ってきて慣らそうとしたこともある。指にタオルを巻いて磨こうとしたこともある。どれもひいに拒まれ失敗した。しかたなく、歯磨きと口臭予防の効果があるという犬用のお菓子を毎夕食べさせお茶を濁してきたのだった。  でも、これでは駄目なのだ。やはり本格的な歯磨きをしなければ歯石予防はもとより歯周病は防げない。歯が悪くなれば食事に差し障り、老化を促進させるのは人間と同じ。やらなければ、歯磨きを。  ペットショップで歯磨き液を買ってきた。まずは入門用として奥歯に垂らすだけでよい製品にした。 「ひい、これはオトウからのお願いだ。ひいには長生きしてもらいたいんだよ。ひいだって、幾つになっても鶏の軟骨をコリコリ食べたいだろ。そのための歯磨きなんだ」  ひいが大人しくこちらを向いている隙に、とろりとした歯磨き液を指につけて向かって右の唇の奥へ入れ、奥歯にこすりつけた。逃げようとしたが、向かって左にもやった。とりあえず成功したので褒めた。 「偉いなあ、歯磨きができたぞ。お利口だなあ。きれいな口になったなあ。オトウはうれしくてたまらないよ」  妻もひいを撫でながら、 「いい仔だったね。ほんと偉かったね」  本音であり、同時におだてでもあった。  翌日から、夜のおやつが終わるとちょこんと私の前におすわりするようになった。 (なんだかわからないけど、ちょっと変な感じだけど、あれやるとオトウとオカアがすごく喜ぶ)  こんな気持ちが見て取れた。そして私が指に歯磨き液をつけると、自ら唇をまくり上げるようにまでなった。  しばらくこのやりかたを続けるつもりだが、指サック型の犬用歯磨き布を使ってももう拒まないだろう。既

寂寥

登幽洲台歌 (陳子昴) 前不見古人 後不見来者 念天地之悠悠 独愴然而涕下  ひい、我が家を群れの住処としてくれてありがとう。いつも私を見つめてくれてありがとう。私が苦しいとき、そっと寄り添ってくれてありがとう。こんな私を信じてくれてありがとう。  私には妻とひいしかいない、と思う。往々にしてではなく、最近は常々と。  私がそのほかの人々を嫌ってこのように思うのではない。むしろ逆であり、皆から好まれていないと考えずにいられないのだ。私は他の人が普通にできることが、できない。普通のつもりでやって、いつも相手を混乱させたり不快にさせたりする。だったら何もしなければよいのだが、生きている以上、眠ったまま暮らすことはできず余計なことをするはめになる。  大人の世界には言ってはならないことがある。ほんとうのことは、誰もが胸に仕舞ったままにしている。そして、本心よりすこしだけ大っぴらにできることを口にする。本音とは、実はこんなものだ。私には、この二つの区別がうまくつかない。胸に仕舞ったまま通り過ぎるのは許せないと勝手に信じ込むこともあり、こんな常識がない者は厄介で面倒な生き物としか思われなくなるのは当然だ。  したがって、妻とひいがそばに今いてくれることを稀なる幸せとしなければならない。どんなにきれいごとを言ってみたところで、人は利害関係で群れをつくり、群れを別にする。「利」より「害」がひとつでも勝れば、互いの距離は一気に遠のく。「害」と呼ぶほどの程度でなくとも、眉間に落ちる天気雨の一粒のように些細な不快感がよぎれば縁は切れる。まあ大人同士は、そこのところを騙し騙しやりくりするものであるが。  犬は敏感に場の空気と相手の本性を読みとる。  私は何十年と生きてきた間に、ここまでに書いてきた自虐を何度か否定し、それでも真実だろうと思わずにいられなくなり、この歳になって茫漠たる寂寥感が心を満たすに至ったが、犬たちを見ていると一瞬にして愛を共有できる者か否かを見分けているとしか考えられない態度を取る。  犬は双方向に交わしあえる愛しか信じない。信じられない者と、関係を結ぶことはない。犬は食べ物を与えるだけで懐く動物ではない。生きるのに不可欠な食べ物にさえ勝る、愛され、愛する実感がなければ相手を、そして群れを信じない。問題があれば、「ここから立ち去れ」、

ひいのオトウからのお知らせ

写真集「HUMIDITY 水脈上のアリア 特装限定版(2013年7月30日刊)」 A3変形版・全100P・99カット ISBN978-4-907403-10-2  C0072  ¥8200E UKIYO photography ご注意:特装限定版のため部数に限りがあり、全国規模では書店店頭には並びません。 (表1)   (表4)

I fear tomorrow I'll be crying.

 ひいの姿を期待されたかたには、今回はこのまま読み続けても彼女の写真が現れないことをお断り申し上げておく。そして英語のタイトルをつけたのは気取りでなく、ある曲の歌詞を思い出さずにいられなかったからにほかならない(Epitaph/作詞・Peter John "Pete" Sinfield)。 「明日を恐れて泣いているだろう」。まさに、いまの私だ。  いいがかりで逮捕され七年間にもおよぶ裁判で時間を無駄に費やされた才能あるプログラマが、私より若い年齢で亡くなられた。旅客機が着陸に失敗し犠牲者を出した。子供が性的搾取されるのは言語道断だが、諸外国の例をみても実効性がないばかりか、矛盾だらけの表現規制法案がまかり通りそうになっている。人の人生と命をなんとも思わない人格異常者が、選挙で当選するのが確実となっている。アスリートの女性が産んだ子の父親は誰かと、報道の責任やら倫理感やら正義ぶった顔をしてマスメディアが騒ぐ。これが、つい最近の、あるいは今日の出来事だ。  私に何ができるのか。何もできない。こうして声をあげたところで、さらに大きな声と大きな力にかき消され、何もなかったも同然になる。私はここにいる。しかし、存在しないも同然だ。  今日、ひいは散歩から戻ると腰砕けになり熱中症の症状をみせた。すぐに保冷剤で動脈を冷やし、水で薄めたアイソトニック飲料を飲ませた。呼吸は落ち着き、体温は下がり、間もなく家中を軽やかに歩き回れるまでに回復した。しかし暑さと湿度を配慮してやれなかった自分を、私は責めた。群れの愛するもの、私を愛しくれるものに、ひどいことをした。  政治やら世の中やら大言壮語し悲壮感を覚えた身が、このありさまだ。  明日への希望、なんていまは考えられない。気付いてやれなくてごめんと、ひいを抱いて横たわるのみ。

黒いランドセル赤いランドセル

   ベランダから朝の空をぼんやり眺めていると、家の前の道を小学生の女の子が慌てた様子で駆けて行った。遅刻しそうだったのだろう。  ランドセルにカバーがかけてあり、何か書かれていた。そういえば数日前のニュース映像の端っこに映っていた子供たちのランドセルにも、「交通安全」の標語が印刷されたカバーで覆われていた。いまどきは、カバーをかけるのが当たり前なのだろう。世の中は小さいところまでいろいろ変わる。四十年以上前に小学校に入学した世代だから妙な感慨を抱いたわけだが、彼女が視界から消えたあとカバーの下のランドセルが黒かったのが心に引っかかっているのに気付いた。  いまは女の子でも黒いランドセルを選ぶのか。  そういえば最近は、水色、緑、ピンクと様々なランドセルが売られている。  私が小学校四年生のとき、茶色のランドセルを使っている同級生がいた。彼は、ランドセルが茶色いことでずいぶんいじめられていた。男子は黒、女子は赤、これ以外はあり得ない時代だったというか、認められない変なことだったのだ。ここ何年かは、まあ黒、赤が無難、ほかの色にするなら長く使うものだから後悔するなよ、くらいのランドセル選びなのではないか。  もしかしたら若い人には信じられないかもしれないが、男子は黒、女子は赤という規範からはずれるのは、下着で町を歩き回るくらい異様だとされていたと言っても過言ではない。革の色として一般的な茶色であっても、いじめられる時代がまちがいなくあったのだ。  私のスマートフォンケースは赤だ。机の上の温湿度計は赤みが強いオレンジ。以前、乗っていたバイクも赤。これらが異様に思われることは、たぶんないだろう。だから、小学生が何色のランドセルを背負っていても、銘々、好きずきであってよいはずだ。ランドセルが性別によって黒と赤しか認められなかった時代は、くだらないことに縛られていたのだ。  そしていまも、気付いていないだけでくだらないものごとに私は縛られているのだろう。  ひいは女の仔だ。なので、胴輪は赤を選んだ。首輪の地色は緑が似合うと思ったが、かわいいミツバチの刺繍が入ったものにした。さて、男の仔だったらどうしていただろう。  私はひいに「おまえは、かわいい女の仔だ」と声をかけている。ここには女はこうあるべき、という思いがある。合わせ鏡の向こうに、男はこうあるべきとする気持ちがあ

バベルの塔が崩されたときから

   旧約聖書に「全地は一の言語一の音のみなりき」とある。バベルの塔の建設にまつわる『創世記』11章の冒頭の記述だ。ヨセフスによる『ユダヤ古代誌』には、「もし神が再び地を浸水させることを望むなら、神に復讐してやると威嚇した。水が達しないような高い塔を建てて、彼らの父祖たちが滅ぼされたことに対する復讐をするというのである」と人々が天を突く高い塔をつくろうとした理由を説明している。これを知った神は、人間が復讐を試みるため一致団結した原因は言葉が同じであるためと考え、者どもに違う言葉を話させるようにした。このため彼らは混乱し、世界各地へ散って行ったとされる。  神の判断は正しかったのだろうか。  もし全世界が一の言語、一の音のみであったらなら、今日までの永きに渡り繰り返された争いと憎しみの再生産のうち数多くのものが回避されたのではないかと思えてならない。特定の言語が世界標準とされ、これを母語としない者たちが蔑まれることも、誤解を招かぬよう苦心惨憺することも、どうしても意図通り正確に置き換えられない言葉や文脈をもとに揚げ足をとられることもなかったはずだ。  言語が違うというだけ、使われる文字が違うというだけで、異なる言葉を話す者同士の間にバベルの塔なみの高い壁が立ちはだかる。これだけで腹を割って話し合おうとする気が失せる。得体の知れない奴らだとなる。面倒だから関わらないほうがよいとする気持ちを持つ者がいても、責められない気がする。  私とひいは同じ言語を持っていない。  互いに歩み寄り、ひいは日本語の単語を憶えようとし、私は犬独特の声と様子から気持ちを汲み取ろうとする。犬は文法を解さないと証明されているらしいが、私はなるべく簡単な言葉を選びひいにくり返し静かに語りかけることにしている。「オカアは出かけた。出かけても、戻ってくる。ひいとオトウの家に戻ってくる。心配するな。寂しかったら抱きしめてやる」などと。  ひいがどこまでわかっているか謎ではある。ただ、毎日、顔を合わせる度に何がしかの言葉を掛けているうち、ひいは様々な単語の意味と背景を理解するようになった。驚くほど複雑なモノゴトを理解できているとしか思えない行動を取る。呪文のように私がつぶやく、「ひいはいい仔だ。ひいは心が優しい女の仔だ。ありがとう。ありがとう」の声も、漠然とではあっても気持ちが通じているだろう。

病院の先生にきれいな顔と言われました

 きれいな顔の意味が、シャンプー後のきれいさでも、美貌の意味でも、たとえお世辞でもオトウはうれしいのです。

つらいから、やきもち焼きます

 犬を何匹も集めふたつの組に分けて同じことを命じ、一方にはご褒美としてソーセージを、もう一方にはパンを与える研究が行われた。双方、相手側がご褒美に何をもらっているかわかるようにすると、同じことをしてもパンしかもらえない組は次第にいじけ、ソーセージ組を嫉妬した。当然の反応と感じるが、犬にも平等を求める気持ちがあることがわかったと、この実験から研究者は結論づけた。  人と犬が同じくらい不平等に敏感だとしても、皆がみな等しかったことなんてあるだろうか。  この世に平等はない、と言い切るとすこし気が楽になる。  その人が持っている性質つまり個性を尊重しようとする態度と、人は生まれたときから平等であるとする考えは矛盾する。一人として同じ人間はいないのだから、生まれた瞬間から良くも悪くも差がつく。この違い、この差を、他人がどれだけありがたがるか、邪見にするかは時代や国や立場によってまちまちだ。どんな人間として生まれるかだけでなく、生まれてくる時代と場所を選べないのだからどうしようもない。  とはいえ不平等のまま楽しく暮らせる人はほとんどいないので、どこかで扱いを調整することになる。どこで、どれだけ調整するかが難しいし、あちらを立てればこちらが立たずで、望む通りに釣りに合いが取れるとは限らない。だから、この世に平等はないと最初に言い切っておくと、余計な幻想を抱かずにすむ。  ただし、これを他人に押し付けると角が立つ。自分がひっそりと、しかしはっきり意識しておけばよい性質のものだ。  定食屋で常連だけおかずの盛りがよい、というのも不平等だ。でも常連はここに至るまで店にお金を払い続けてきたわけだし、店としては常連の好き嫌いや食べる量をわかっているから手加減できる。一見(いちげん)で、しかも食べ終わってから文句を言うかもしれない客に、特別なサービスがつかなくて当然だろう。要は、常連だからといって盛りをよくしろと求めたり、自慢したりせず、一見であるなら差別されて不平等だと声を荒げる必要もないという話だ。  と書いておいて、ここまで達観しきれない自分がいる。  そして、ひいもまた悩める一匹なのだ。  妻と他愛もない話で盛り上がっていると、どこからかひいがちょこちょこ現れ、私に何度も飛びついてくる。いつもとは限らないが、珍しい出来事ではない。「オカアばっかでなく、私とも!」といったとこ

やれることしかやれないけれど

 すこしばかり離れたところへクルマで妻と買い物に行った帰り道、なんとなく音楽を聴きたくなりカーオーディオのスイッチを入れた。CDチェンジャーは、前回、聴きかけだったニール・ヤングのアルバム「After The Gold Rush」の「Tell Me Why」を曲の途中から奏でた。  やぶにらみの目つき、おしゃれとほど遠い小汚い服装、美しいバラードと激しいロックのコントラスト、繊細な詩、上手いのか下手なのかよくわからないギターソロ、911テロ直後にジョン・レノンのイマジンがアメリカで政治的だと自粛されていたが追悼番組で堂々と歌いきった男。バンークーバー・オリンピックの閉会式で、聖火が消える直前にマーティンの生ギターを提げオオトリとして登場したことで、ニール・ヤングをはじめて見て聴いた人もいるだろう。  私は揶揄するつもりでなく、好きであるゆえの感想として「変な声だよな」と助手席の妻に話しかけた。「ロック向きの声じゃない。か細いようで、音域が高くて、でも説得力がある声をしている」  すると妻は、 「歌がとっても上手いわけでもないし。でも、いい曲を書くよね」  と返した。  物干し竿から下ろしたばかりの洗いざらしのジーンズのやさしさ、日に焼け擦り傷がついたヌメ革の財布が醸し出す正直さ、といったものがニール・ヤングにはある。  ニール・ヤングより歌が上手い歌手は何万人、何十万人といるだろう。ギターをなめらかに弾きこなせるギタリストも、やはり同じように数多くいる。しかし、ニール・ヤングのように支持され、ロックの殿堂に入れる者はとても数すくない。  もし、若き日のニール・ヤングに「君はボイストレーニングからやり直さなければ駄目だ。一般的な発声法と音程の正しさを身につけろ。ギターも運指の癖を直さなければプロとして通用しない。デビューはそれからだ」とプロデューサーが指示し、彼が従っていたらどうなっていただろう。それはそれで並以上の音楽家になったかもしれないが、四十年以上も生き残る曲を書き、さらに書き続け、歌い続ける人とはなっていなかったはずだ。このように指示されたり、そうしなければならないと自分で決め、消えて行った人は各界に多い。  一般的で正しいとされるものを学び、自らのものにし、これによって世の中から評価されるようになる人もいる。これが求められる場もある

おやすみ、朝までいっしょだ

 きなくさいニュースが毎日のように伝えられている。かの国の外務省報道官の女性は動揺と怯えを隠しきれない怒ったみたいな顔をして、自分たちは何があったか知らないと言った。関係部署に訊いてくれ、と言った。知らないはずはないのだけれど、偉い人たちでさえ手に負えない泥沼に片足を突っ込む者たちがいて、おおっぴらにするととんでもないことになるのだろう。 喧嘩と戦争は違う。私が誰かに諍いを仕掛けて勝った負けたと騒ぎになっても、やったことの大きさだけの因果が己に巡ってくるだけだ。しかし戦争は、首謀者を何人捕らえても、何人絞首台に送っても、罰というかたちで彼らが責任を取れるものではない。数多くの見ず知らずの者を不安にさせ、殺し、支配する上で、端から相手の事情を斟酌するつもりなどない。  どうでもよいニュースも毎日のように飛び交っている。若い芸能人の女の子が男と付き合っているとか夜遊びをしたと証拠を突きつけられ、なぜか坊主頭になった。自分の意志か、誰かの助言か、商売の都合なのか知らないが、とにかく彼女は坊主頭になった。若いとはいえ子供ではない人が誰かと交際するのは自由だし、坊主頭になるのも勝手だが、わざわざスキャンダルを暴きたてる者がいて、謝罪と称して女が頭を丸めるという癇癪玉なみの気障りな破裂音を響かせ、髪を切った事実を公開する手はずを整えた大人たちがいる。  くだらないと片付けて終わりのはずの出来事だが、何か嫌なものが澱となって気持ちに沈殿する。相撲と歌舞伎に素人は近づくなと昔から言われていて、これらの世界は常人の感覚が通じず、巻き込まれたら碌なことがない。現代だったら、ここに芸能界とスポーツ界が入るだろう。身内の世界を暴露して、暴露こそ好奇心の発端だから人は騒ぎたて、誰も後先のことは考えない。くだらないことが圧倒的多数を占めるのが浮き世で、くだらいなものは忘れ去られたあともじわじわ浮き世を浸食し続ける。これを人気とか影響力とか実績と呼ぶ人たちがいて勘違いも甚だしいが、そういう世界があるのも事実だ。  どちらの話も、我が家の外の出来事だ。  だが我が家もフローティング・ワールド(浮き世)とともに漂流する小さな群れだ。浅井了意の「浮世物語」(1659〜66年の間に成立)に曰く、「当座にやらして、月、雪、花、紅葉にうちむかひ、歌をうたひ、酒のみ、浮きに浮いてなぐさみ、

血脈

 初対面のとき、ひいは単なる洋犬の雑種にしか見えなかった。だが、ともに暮らしてみると顔貌にジャーマン・シェパードの特徴が感じられ、シェパードの血が入った雑種ではないかと思えてきた。わかりやすいところでは、マズルと眼の周りの黒さ(ブラックマスク)、大きな二等辺三角形の耳だ。さらに目尻の下にシェパード特有の黒点があり、これを我が家ではシェパポッチと呼ぶようになった。ドッグランで見知らぬ人から、シェパードの仔ですかと訊かれたこともある。そう、シェパードでなくシェパードの仔、なのだ。小型犬と中型犬の境目に位置する大きさは仔犬にしか見えない。  あるとき妻が、ベルジアン・シェパード・ドッグ・マリノアの写真を見つけた。その名の通り、ベルギー原産のシェパードだ。驚くべきは、ひいを拡大コピーしたかのような姿かたちだったことである。ひいは鳩胸で、腹にかけてきゅっと引き締まり、全体的に短毛だ。そしてチビのくせに筋肉質。これらはマリノアの特徴だ。  しかし、だ。マリノアは日本ではきわめて珍しい犬種である。実物を見たことがある人は、どれほどいるだろうか。つまり、どこにでもいる犬ではない。珍しい犬種なら血統書がものを言うから、雑種が生まれるような環境に置かれているマリノアはいないのではないか。だから、他人のそら似だろうと私と妻は大笑いした。偽・チビ・マリノアだ、と。  でもこの犬種が気になるので、だんだんマリノアについての知識が増えていった。胴体の長さと体高の比率が一対一で正方形に収まる、全天候型のダブル・コート、頭頂部が平らである、適度に尖ったマズル、マズルの長さは頭の長さとほぼ等しい、鼻梁は頭頂部と平行、中ぐらいの大きさの眼はすこしアーモンド型、鼻は黒い、首の周囲の毛がやや長い、つま先立ちのような脚、すばっしこくて速力がある。これらはほぼひいにも共通し、成犬になる前の段階のマリノアといったところだった。  このうえ性格も似ている。警戒心が強いうえに用心深い、家族には忠実で優しく深い愛情を示すが他人には打ち解けない、飼い主の気持ちを常に読み取ろうとじっと見つめる眼差しが特徴的。訓練性が高いという点は、訓練をしていない座敷犬なのでなんとも言えないが、良くも悪くもいろいろ憶えて忘れない。  ここまでそっくりだと、ミニチュア・マリノアと呼んでもよさそうで、大型犬のマリノアが小型であることを

女の子といっしょなんだな

 私は体がいかつい上にほぼ坊主頭で髭面のおっさんだから、小学生の女の子を見ただけで犯罪者にされる恐れがあり、視線をさっとそらさなければならない。まして首からカメラを提げているときは、視線がどこにあろうと通報されかねない。これは自意識過剰とか被害妄想でなく、世の男どもが少なからず感じていることだろう。つり革につかまって立っていただけで、目の前に座っている若い女性から痴漢よばわりされたので、何が起こっても不思議ではないと考えざるを得ない。  こうしていても、家を出ればあちこちで小学生の女の子の姿が目に止まる。気分の高揚のしかたや、寂しそうなときの素振りが、ひいに似ているとつくづく感じる。小学生の女の子が犬と同じと言いたいわけではない。犬にも心があり、心は人のそれと似ていると思わずにはいられないのだ。ひいは女の仔なんだな、と。  女らしさなどというものは、時代や国が違えば内容が変わるあてにならないものだ。しかし、闘争より共感を求める点や、雄族に特有のガサツさがないことで、ひいは女の仔らしいと男の私は感じる。これまで身近にいた雄の犬とは、あきらかに違う。野蛮な雄族は雄族なりに、自らの雑さ加減を自覚しているのだ。女から見た男、女から見た女と別物だろうけれど。 「すぐ帰ってくるよ」とひいに声をかけ、片道十分とかからない場所へ買い物に出かけた。いつものことであるし、何か気がかりがあったわけでなく、オカアにわがまま言うなよくらいの挨拶だ。  家に戻ってくると、カーポートにひいのおしっこのあとがあった。平和なものだと玄関に入ると、家を出たときと雰囲気が違う。妻に問うと、ひいが表へ行きたいと言うのでドアを開けたら、私のあとを追うように道に出てずっと心配そうにしていたというのだ。敷地の中では、ひいにリードは着けない。なぜなら、怖がりのひいは何があってもカーポートから外へ出て行こうとしないからだ。人やクルマがそうそう通らない道だからまだよかったものの、危ないところだった。気をつけなくては。  なぜ、ひいはいつもと違う大胆な行動に出たのか。  ここのところ調子が悪い日が続き、私はぐったりしている。体がだるいのもあるが、気持ちがひどく落ち込む。これまでもなぐさめるように寄り添ってくるなど、ひいは私がいつもの私でないことを察していた。オトウは無事に帰ってこれないかもしれない、と気が気ではな

ひいの優しさに泣いた日

 妻と何気ない会話をしていて、急須(きゅうす)はキビス、キビショとも言い、前者は急火焼、後者は急焼と書き、これは古い中国語の音と字から生じたもので、もともと急須とは現在の土瓶のようなかたちの酒を直火にかけて温めるものだった、と説明した。「よくそんなこと知ってるね」と言われたが、このようなどこかで目にしたものが忘れられないのが私の性格だ。こんな辞典的なガラクタが仕舞い込まれているだけなら毒にも薬にもならないが、誰かが関係したできごとや叱責の声や失敗も同じようにありありと記憶の倉庫に不良在庫として残っていて、意図せぬ棚卸しで思い出され苦しみの元になる。  性格とはなんだろう。人それぞれが本来もっている反応や感情や行いの型のことなのだろうが、どうしてこんなに千差万別なのだろう。そして、たぶん多くの人は自らの性格を肯定できないのではないだろうか。胸を張って他の人より性格が優れていると誇る人は、なにか胡散臭い感じがする。誇るまででなくとも、全面的に自分自身を受け入れられる人には近寄り難いものを覚える。  火山灰地にツツジがよく育ち、水持ちがよい土壌で稲穂がたわわに実るように、性格は生まれ持った脳のありかたと関係しているに違いない。  私はMRI検査を受けたことがあるが、画像を見た医師から脳梁が異常に大きく太いと驚かれた。脳梁は右脳と左脳の間に、前から後ろへ連なっている海苔巻きのようなかたちのものだ。ちょんまげが、頭の中にあると考えるとわかりやすい。  役目は右脳と左脳の連絡役で、女性のほうが男性より発達している。私の場合は、女性のそれより圧倒的に長く巨大で、海苔巻きではなく太巻きサイズだ。脳梁が男性と女性の性格差を決定しているとする説は否定されているが、感情的になり理性がまったく働かない男性型の爬虫類的な暴力は、右脳で処理された感情が論理脳である左脳と連絡が滞り暴走するせいだと言われている。また論理を処理する左脳は、どんどん上書き保存をくり返すため忘れる脳でもある。いっぽう、右脳は見たまま感じたままの大量の情報を、ありのまま保存できるブルーレイディスクのような脳だ。右脳で把握したものに左脳がラベルを貼り、また右脳の倉庫に仕舞う。これが過剰で異常なのではないかと、私は自分の性格の根源について思う。  先日、私が列に並んでいると着飾った老女が斜め後ろに立ち、ふらふ

私の好きな「 」

 ベビーカーに乗せられている小さな子が、どんな犬種を見ても「ワンワン」と口にする。一人、二人でなく、何年にもわたってしばしば見かけてきた光景だ。  この子たちは犬が好きなのだろう。でも大人は犬種をいくらか知っているから、チワワであってもグレートデーンであっても、ともに犬とわかるのだろうが、言葉さえ頼りない子供までが、小型犬から大型犬、毛が短いものから長いもの、耳が立っているものから垂れているものまで、なぜ初対面で同じ犬族と見分けられるのだろう。馬にもいろいろあるけれど、犬ほど様々なかたちはしていない。キリンと言えば首が長いと決まっているが、では犬はと尋ねられたら説明が難しい。  私は物心がついたとき既に犬が好きだった。最初に出会った犬は、両手に収まるくらいの大きさのぬいぐるみだ。こげ茶色で、小さな耳が立っていて、プラスチックでできたつやつやした眼をし、仔犬らしい丸っこい体つきだった。たまらなく好きで、片時も手放さなかった。  四十年以上前のこの国は、いまほど犬が飼われておらず、社宅暮らしが長かったこともあり身近にあまり犬がいなかった。だから犬と出会えたときの喜びはひとしおで、目の前の相手がたとえ吠えようとも恐ろしい動物と感じたことはなかった。大人になって野犬に囲まれた折にはじめて犬を怖いと思ったが、対峙しながら感情を読みあう気持ちの余裕があった。そして、野犬から威嚇されても犬を嫌いにならなかった。もっと犬の心の内を知りたいとさえ思った。  実家ではまず柴犬、次に純白の雑種犬を飼い、特に白犬のダーリンは中型犬を外飼いするのがあたりまえだった時代にひとつ屋根の下で寝食をともにしたので、彼の何もかもが忘れ難い。しばらく犬を飼えない生活が続いて、犬とともにある暮らしを求める渇きが、入居者未定のがらんとした空き部屋としていつも心の片隅にあった。  里親募集サイトでひいを見初めたのは妻で、私はといえば心の空き部屋に新しい犬を入居させるべきか戸惑いがあった。妻がひいのとりこになった様子であればあるほど、私にダーリンの記憶がありありとよみがえり、もう一度、彼と暮らしたいと思ったからだ。ダーリンと同じ犬はいない。  ひいの特徴は、茶色く短い被毛、絶妙なこげ茶に色分けされているぴんと立った耳、張り出した胸から腹へ引き締まって行く曲線の妙、つぶらな瞳、適度な長さのマズル、マズルを引

やさしさはいつも裏切られているから

 行きつけのコンビニの店長は、いつも怒ったような顔をしている。生まれつき険しい容貌の人がいて、私も眉間に皺が寄りがちで誤解されるからきっとそうなんだろうと思っていた。  あるときコンビニの敷地にある郵便ポストに大きめの封筒を投函すると、ポストの中の何かに引っかかり、鉄でできた箱の天井部分から宙づりになった。下に収めてある袋に向かって封筒が垂れているなら、ポストを開けた郵便局員が気付くだろう。しかし、天井の内側と平行になっているので見逃されるかもしれず、私にはできなかったが指の細い人が投函口から取り出し、いたずら心を起こして持ち去るかもしれなかった。封筒の中身は大切なものだったので、すぐなんとかしたかった。  このコンビニは切手や官製はがきを売っていて、郵便局扱いの小荷物の集荷もしていたから、事態を店員に伝えれば管轄の局と連絡がつくだろうと思った。  レジへ行くとたまたま店長がいた。私は投函した封筒のありさまを説明し、どうにか郵便局に事情を伝えられないだろうかと頼んだ。 「なんの話ですか」  店長はいつものむっとした表情で言った。  もういちど説明しないとならないのかと、今度は事情を口にする前に、郵便局と連絡がつかないか先ず訊いた。 「うちの前にあるけど、うちのポストじゃないから。引っかかったと言われてもねえ」  なんの話ですか、は私の頼みをわかった上での言葉だったのだ。  とっととどっか行けと言わんばかりの口調に、自分がとても愚か者だと気付かされ自己嫌悪を味わった。悪いのは、コンビニと郵便局の間に密な連携があると勝手に思い込んでいた私だ。もうひとつ気付いたのは、店長はああいう顔の人なので怒っているように見えるのではなく、明らかに腹を立てていたことだ。  客商売はやっかいなもので、おかしな客が変な注文をつけてきたり、喧嘩を吹っかけられたりもするだろう。こうなると、何も言わず品物を差し出し、何も言わずお金を置く客以外は、迷惑をかけてくるものと覚悟し接しなければならないのかもしれない。客は甘やかすとつけあがるから、たとえ郵便局への連絡方法を知っていても(店長は間違いなく知っているだろう)、取りつく島もない態度を取るようにしているとも考えられる。この一件で、私には客商売はできないと思い知らされた。  店長だって、赤ん坊のときは満面に笑みを浮かべていただろう。しかし、や

どこまで行っても平行線

   若かった日々に戻りたいか。もし小箱に年齢相応の経験を詰めて過去に持って行けるとしても、勘弁してもらいたい。いま知っている失敗や後悔や恥が多少は役立つかもしれないが、また別のやっかいなものごとに悩んだり苦しんだりするにきまっている。  そんなことはない、と思うなら恋について考えてみればよい。  歳の数だけ生きてきたぶんの経験があっても、恋を思うがままに操れるようにはならないはずだ。恋が突拍子もない喩えと思うなら、いくら家族を愛していても、自分の愛が相手に丸ごと伝わり、相手の愛を漏らさず受け取れるものではないのを思い出すと自ずと答えは出るだろう。  だから、離婚を経験した後に妻と出会えたことは稀にみる奇跡だったと私は思う。そしていま、妻とひいと群れをこしらえて生きていられるなんて、一炊の夢だったとしても不思議ではない気がする。  若い日の恋を振り返ると、同棲しているわけでなければ、別々に過ごす時間のほうがはるかに長かったことがわかる。これが苦しみの根っこだった。会えない時間こそ恋愛の醍醐味と笑って言える人がいるとしたら、遠い日のできごとを美しく脚色しているのだろう。恋人と会えない状況は、他人は自分と違う時間を生きているもの、別々の人生を抱えているものといった、ひどく冷酷な現実を突きつけてくる。こんな経験をくり返しても、「自分」と「誰か」はどこまで行っても別者と理屈として憶えたにすぎず、なかなか道理として身に付くものではない。  小箱に収めた年齢相応の経験なんて、この程度のもの。  ひいは私のあとを始終ついてまわるが、それでも四六時中べったりくっついているわけではない。私がどこかに出かければ家を空けることになるし、家にいても彼女だけで過ごさなければならない時間はある。ひいがやっとオトウが帰ってきたと興奮して面倒なくらいはしゃいだり、前触れなくやたら甘えたりするのは、群れの一体感を信じるがゆえに、オトウが所有している時間と自らの時間の区別が割り切れず、葛藤しているからではないだろうか。これは、恋人を自分と半ば一体のものと勘違いし、相手が目の前にいないだけ、手の届かない所にいるだけで心が揺れ動くのと似ている。恋人を家族に置き換えてもよいだろう。人が理屈としてわかっているだけ、なのと同じだ。  人と人、人と犬、犬と犬、どの人生もどこまで行っても平行線で、交わるこ

姫ちゃんが忘れられない

 たしか2010年のできごとと記憶しているが、多摩川河川敷で暮らすホームレスの老人と飼い犬の姫ちゃんの様子がテレビで放送された。  河原の吹きっさらしにビニールシートでつくられた家の撤去が決まり、老人は役所の斡旋と生活保護を受けアパートで暮らす運びとなる。アパートで犬は飼えない。散歩がてら多摩川を訪れる犬や犬の飼い主と老人と姫ちゃんは交流があり、この人たちが姫ちゃんの譲渡先を探すこととなった。  別れの日、老人は姫ちゃんに牛肉を買ってきて、河川敷の家のコンロでステーキを焼く。なかなか食べようとしない姫ちゃんだったが、老人に促されサイコロのように切られたステーキに口をつけた。最後のひとつになったとき、姫ちゃんは老人を見つめる。「これは、おとうさんが食べて」と言っているらしい。数秒だったはずだが、永遠か、時が止まったように見えた。老人は「食べろ」と勧めた。姫ちゃんはもの悲しげに、おずおず残りひと切れを口にした。  何もかもわかった様子で、ステーキを老人に食べてもらいたかった姫ちゃんの姿が忘れられない。  このとき姫ちゃんは十五歳。とても老犬とは思えない毛並みは、七歳からはじまった老人との暮らしがいかに穏やかで厚く守られたものであったかを物語っている。姫ちゃんのその後が気になり調べてみると、無事、譲渡先が見つかっていた。  姫ちゃんから、犬にとっての幸せを考えさせられる。  姫ちゃんに新たな生活の場を与えた飼い主のかたはすばらしい。老犬との暮らしは、いろいろ覚悟しておかなければならないことがある。ゆるぎない決意があって、姫ちゃんを迎えたのだろう。  ここで誤解しないでいただきたいのは、立ち退きの問題や、新たな飼い主のかたにケチを付けようとしているのではないことだ。そのうえで慎重に私の意見を書くが、姫ちゃんにとって幸せの原型は河川敷のブルーシートの家で老人と生きた日々にあるのではないだろうか。  吹きっさらしの家は、年中、厳しい暮らしを強いる。日頃、姫ちゃんが何を食べていたかわからないが、老人の懐具合を思えば栄養管理が行き届く最高峰のドッグフードでないのは確かだろう。ワクチン摂取を受けていたとは考えられない。暖をとるための練炭が不完全燃焼を起こし、異常に気付いた姫ちゃんが老人を救ったこともあったという。死の気配が、いつもすぐそばにあったと言っても過言で

「立つな」か「座りましょう」か

 日々、満員電車に乗るのはつらかったし、理不尽な責めを受け心を病んだりしたけれど、広告の仕事をした経験で種々雑多なものに気付かされた。いまは、こんな日常があったことをありがたいと思わなければならないだろうと、自分に言い聞かせている。  最近は、親切ごかしで不安を煽ったり、暗にほのめかすだけだが根本の部分で何かを断定的に否定し貶す広告が幅を利かしているけれど、このようなものは品性が下劣であり、最終的に広告を目にする者から拒絶される、と会社員一年生のとき教えられた。有能なコピーライターやアートディレクターから教えを聞かされた段階では知識でしかなかったが、この広告の定理は正しいとすぐに身を以て体験した。  子供から大人まで相手にする巡回展の担当になり、専門外の図面引きから会場の裏方にいたるほとんどすべての業務についた。大声で笑ったり驚いたりするイベントが仕掛けられたアート展だったが、大人と違い子供は興奮すると何をしでかすかわからなかった。座るべき場所で立ち上がって暴れると、他の客が迷惑するばかりか危険な事態になる。「みんな立たないで。危ないよ」と声を張り上げても子供は耳を貸そうとしなかった。だが、「みんな座ろうね。困ってる人がいるよ」と言い換えると、まったく結果が違った。言うことを聞かなかった子供が座ったのだ。  心理学はこの辺りの現象を理路整然と説明するかもしれないが、私は科学的にどのような違いがあるのかわからない。ただし、否定ではじまる言葉がなし得なかったものを、か弱いと思われがちな言葉が効果をあげたのは事実だ。  これは、ひいと接していても同じなのだった。  犬は人間の言葉がわからないと思われやすいが、長年、人と暮らして話しかけられていると、正確な意味までは理解できなかったとしても何を伝えようとしているかかなりのみ込めるようになる。また、人の言葉を理解しようと懸命に耳を傾ける。  たとえば、ひいと一緒に布団に入り安らぎたいと私が願っていたとする。ひいとしては、布団の上に乗っていても、中に入ってもどちらでもよい気分である。だから、布団をかぶり「こっちにおいで」と言っても迷っている。私は「ひいと寝たいんだ。ゆっくりしたいんだ。温かくなりたいんだ」と囁き、ひいが体をちょっと動かしたところで「ありがとう。ありがとう。オトウの気持ちがわかってくれたんだ」と言う。オトウが

ボツにしたカット

 ひいを迎える日の直前に買ったカメラの具合が怪しくなりかけていて、これはメーカーが悪いのではなく、あきらかにシャッターを押した回数が関係している。銀塩写真の時代は、カメラバッグの中に未撮影のフィルムがあと何本だろうか常に考え、頭のけっこう真ん中に「¥マーク」が漂い続けていた。これがデジタルになると、たがが外れる。  こうして、膨大な量となったひいの写真がハードディスクに溜まって行く。もちろん、ブログに載せない、プリントもしない写真が山のようにあって、ここにピントや構図は申し分ないものがけっこうな枚数になっている。なぜ仕舞い込まれたままの写真が多いかというと、ひいが人間の女の子だったらこの表情は残したくないだろうと思うものを、タレントのマネジャーがやっているようにボツにしているからだ。たとえば、この日記の冒頭のような面持ちのカットはボツにしてきた。 「ひいのだらしないときが、かわいいのに」  と妻は言う。  私もそう思う。そして、だらしなかったり、中途半端な表情のカットも撮影はしている。  きっと、冒頭に掲げた写真をどうしてボツにしたか理解しかねる人もいるだろう。私は写真を選びながら、この瞬間は私の中のひいではないと判断したのだ。だから、「ひいが人間の女の子だったら」という理由はエゴに対する言い訳かもしれない。しかし、人間のポートレートを大量に撮っていたときも、私の中のその人を現そうとしてきた。ここが私の撮影者としての限界なのだ。  コンプレックスは数限りなくあるが、絵を描けないことは私にとってかなり大きな心の棘(とげ)となっている。小学生のとき画用紙いっぱいにどーんと写生して先生に褒められたことはあったが、いつまでたっても兄のようにマンガの主人公をそっくりに模写できなかった。そして、自分が描く線が美しくないのを知っていた。線の美しさは、天性のものだ。でも、平たい紙の上にどうしても描きたい。写真なら、自分の思いを形にできるだろうとカメラを手にとった。  もし可能なら、抽象ではなく具象画、油ではなく日本画の線でひいの姿を描きたい。画風や世界観の好き嫌いといった感情を越えたところで、池永康晟氏(http://ikenaga-yasunari.com/)のような線でひいを描きたい。一枚を完成させるために、一年、二年と費やしてもよいと思う。  それとは別に、感じてやまな

Bちゃん・ひいちゃん

 亭主が好きな赤烏帽子(あかえぼし)は死語かもしれないが、こういった言い回しが消えるのは実に惜しい気がする。頭にかぶる烏帽子は黒いものと決まっている。でも亭主が赤が好きと言えば、いかに変ちくりんなものでも家族は赤い烏帽子をかぶらなければならない。一家の主の言うことに家族は従わなければならない、といったところだ。これとは別に正確な意味から派生して、亭主が好きなものならそれを受け入れて丸く納めるという言葉としても使われる。  さらに、「亭主が好きな赤烏帽子よ。旦那がこれが好きだって言うから、しかたないなあと思って着てますの」と言えば、惚気(のろけ)になる。これを辞書の説明通りに、亭主の独裁、同調圧力と言い換えてしまうと、味わいがなくなりギスギスするばかりだ。やだやだ。  今年は冬の寒さが厳しいのもあるが、私たち夫婦がたった一年でずいぶん老け込んだのも関係しているらしく、去年と同じ厚さの部屋着ではなんとも心もとない。妻は買いそろえる間がなかったことで着るものに困り、古い服をひっぱり出してくるはめになった。それはニューヨークの寒さに弱りはて飛び込んだベネトンで買ったセーターだが、時代が時代だったというか、そもそもベネトンがそういうブランドなのか、胸に太く大きく「B」と書かれている。昔のマンガで中学生くらいの男の子が着ているセーターそのものといった感じだ。なお、「B」はベネトンの頭文字である。  妻はダサイけどしかたないと言ったが、私は気に入った。  ユーモラスで男の子っぽいところが、よく似合う。これ以上の選択はないと感じ、控えに似たものをもう一着手に入れるべきではないかと勧めもした。ここまで言うならということなのだろう、妻はこのセーターをよく着るようになった。Bちゃんの誕生である。  寒さが堪えるのは私たちだけではない。ダブルコートとはいえ、ひいも寒そうだ。動物愛護センターから保護されAさんに育てられていたとき着ていた青と白の縞のラガーシャツを越える、ひいに似合う服はないと感じていた私は、同じようなシャツに出会えないなら服を着せないほうがよいとしてきた。ひいはガーリーなものは似合わないにきまっている。しかし、背に腹は代えられないとサイズが合いそうな犬用の着る毛布を買った。服ではない、着る毛布なのだと自分を納得させたのだ。  ひいが着る毛布を喜んでいるか微妙なところだ。

なぜ、そんな顔する

 ひいの様子がおかしいと気付いたのは妻だった。  私と妻が夕食を終え食卓を離れてソファーに座ると、ひいは二人の隙間に入った。ここまではいつものことだ。ただ、オヤツをちょうだいと訴えなかった。人間が食事を済ますと、おねだりをするのが習慣なのだが。 「さっきから、しょんぼりしてる」と妻に言われ、頭を撫でてやったがたしかに反応がひどくにぶい。何も感じない、といった様子だ。眼はうつろ、だらんと力が抜けた体。かといって、鼻は濡れているし体温も平熱のようなので体調が悪いわけではないようだ。  この表情、この脱力した体、寂しくて心の底が抜け落ちた人のようだ。  だが、気持ちが落ち込むような特別なことはなかったはずだ。  いや、本当にいつもと同じ一日だったろうか。  すこし気になっていたことがある。ひいにとってではなく、私のこととしてだ。  年末から年始にかけて、私は昼過ぎにベッドに横たわる日が続いた。五分、十分とぼんやりすることもあれば、ぐっすり眠るときもあった。私がベッドに横たわると、いつもそこにひいがいた。ひいは掛け布団の隅で丸くなっている日もあれば、布団にもぐり込んできて私の両脚の間に横たわることもあった。この日はなにかと用事があり、ベッドに寝転びたいと思いつつも叶わなかった。  どう考えても、昨日と今日の違いは私が寝室で時を過ごしたか否かくらいのものだ。  ひいにとってどうでもよいこと、と思っていたが違ったのかもしれない。  私とベッドで横たわる時間を、ひいは毎日、楽しみにしていたとする。一人で寝転んでいるのでは得られない心地よさを感じていたのかもしれない。今日も、オトウが来てくれるものだと信じていた。しかし、来なかった。待ち続けた。そのうち、自分はオトウに嫌われたのかと不安になった。この通りだとしたらつらい時間を過ごしたことになる。  二十代の私が、恋人を待って、恋人が現れなかったときの気持ちがよみがえる。はっきり嫌いだと言われるよりやりきれない、絶望を抱えたままの孤独な時間。寒さでかじかんだ指が触れるものの形をわからなくなるように、眼はものを見られなくなり、心は動きを止める。あの感覚を、ひいは味わったのか。  私はひいを呼んで寝室に向かった。  掛け布団を整えている私を、ひいは微動だにせず見つめていた。ベッドに横たわるとき、私はいつも布団の乱れを直す。ひいは察し