寝室の電灯をつけると、ひいはいつも通りベッドの上で熟睡していた。
「これ、なんだろう」
妻の視線を追ってベッドの端を見ると、シーツに小さなシミがあった。シミの正体はわからないが、夜更けにシーツを換えなければならないほどの汚れではない。よく気付いたものだ。
さて寝ようと思ったが、気付かないままならどうでもよいものが、気になりだすときりがない。
寝汗のシミではない。だったら、なんだ。どうも、ひいが関係しているように感じる。ほんの少し小便を漏らしてしまったのか。
「ねえひい、これなんだと思う?」
妻がシミを指差す。
ひいは薄目を開けたまま反応しない。聞こえないふりをしているようにも見える。
「ひいが悪さしたんじゃない?」
妻はシミの横を指でつつきながら言った。
ひいはすくっと起き上がり、シミのにおいを嗅いだ。そしてプレイバウのように前半身を低くし、鼻先でシミの場所から妻の指をどけようとした。それでもシーツをつつき続けると、必死の形相で激しく首を振ってマズル全体で指をはらいのけようとする。
「臭腺液じゃない?」
「臭腺液だな」
間違いなさそうだ。
犬にとって臭腺液が出てしまうのは恥ずかしいことなのだろうか。それとも、寝床には臭腺液を漏らしてはならないもので罪の意識が働くのだろうか。いずれにしても、指摘されるのは相当いやなようだ。
あまりにひいが必死になるので、妻はわざとまたシーツをつついた。そのたびひいは指にいどみかかる。私もやってみた。同じことが繰り返された。
こんなことを続けていたら、ひいがキャンと甲高くも弱々しく鳴いた。
ひいの狼狽して困り果てたさまに、ごめんと詫びるほかなかった。
恥ずかしさや罪の意識だけでなく、なかったことにしてほしいというのは、なかなか複雑な感情の動きだ。もしひいが人間の言葉を話せるなら、私たちとさして変わらないことを喋るのかもしれない。
キャンという鳴き声は、
「もう、そのことはいいの!」
といったところか。
夜が明け、食事と散歩をすませたひいは、ぼんやりソファーに横たわっている。私はひいの気持ちを読み取りたくて、丸くて黒い目をじっと見つめた。そして、胸の内でもういちど「ごめん」と謝った。
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