ベランダに出て遠くの山のてっぺんのずっと上を眺めていたら、開け放っていたサッシの向こうでひいも空を見ていた。別に変哲もない春のくもり空だ。旅客機が飛んできて、ゆるやかな角度で上昇し、ゆっくり視界を横ぎって行く。音はなく、静かだ。ひいの視線は飛行機を追っている。やがて飛行機は点になり見えなくなった。ひいは「ふう」と小さくため息をついた。
「飛行機を見てたのか」
と声をかけると、ひいはこちらに顔を向け私を見つめた。
ひいはたぶん飛行機を知らない。大きな鳥だと思っているのだろうか。しかし、これまで鳥に興味を持ったことは一度もない。「あれは何だろう」と不思議だったのかもしれない。
ひいはまだ私を見つめている。
何かを強く訴えかけているのだ。
「何でしょうね、あれ」
と言いたいのかもしれないと思った。
あれは飛行機と言って、人や荷物を載せて空を飛ぶ乗り物だ。犬だって乗ることができるけれど、犬はクレートに入れられ荷物室みたいなところに乗らなくちゃならない。だからアメリカのように遠いところへ行くときは、十何時間も別々に過ごすことになる。アメリカって言うのは海の向こうにある国で、人間はオトウたちと違う言葉で喋っていて、でも犬はひいと同じ言葉だと思うよ。オトウはアメリカに行ったことがある、オカアはアメリカに住んでいた。まあ、あの飛行機はアメリカに行くわけではなさそうだけれど。
ざっとこのようなことを答えてみた。
しかしひいは微動だにせずやけに真剣な表情をしたままで、こんなことを知りたいわけではないみたいだ。そして真剣だからといって、チッチをしたいから外に出たいというとき、甘えたくてしかたないとき、の眼の色でもない。
ふと思った。ひいは空と空を横切るものに何かを感じたのだ。それは何ものにも代え難い気持ちで、これを私と共有したいのかもしれない。
あのとき私は何を思っていたか。
私は空と飛行機に漠然と〈春〉を見ていた。飛行機の荷物室のことや、アメリカのことなどこれっぽっちも考えていなかった。心にあったものはいまにも消えそうな感覚で、言葉にしようとするととたんに脚色されて嘘っぽくなるものだ。〈春〉という単語では伝わらない、とても個人的で、あのとき限りの何かで、しかし大切にしたい感覚。でも言葉にしなければ、もうすぐ忘れてしまう。いや、こうしている間にも気持ちの隅っこから、大切なものが消えつつあるのがわかる。すべてを言葉に頼らなければならない人間であることがひどくもどかしい。
しかし、言葉を持たないひいは、あのときをあのときのまま心に封じ込んだのではないか。
そして、これがひいにとって当たり前なのではないか。
はじめて我が家にきた日、心細く寝ていたところへ私と妻がやってきた瞬間にうれションをしたときのことは、あれがきっかけとなって私たちは互いにほんものの群れになったように感じられ、ひいがチッチに人間二人を総動員したがる遠因になっている気がしないでもない。また、Aさんのもとから巣立った犬たちの同窓会ではしゃいだこと以来、ひいは車に乗るのが好きになり、後部席のドアを開けただけで車内に乗り込もうとし、しかも同窓会が開かれた場所へ近づくと期待を隠さないようになったのは、心の中の宝物がよみがえるからではないか。これらさまざまなできごとは、見たまま感じたままに脚色もなく言葉に頼らず記憶されているのだろう。
ひいが私を見つめて言いたかったのは、
「同じとき、同じもの、見てたんですよ」
だったのかもしれない。
何かを感じ心に封じ込んだひいにとって、それを共有したいという願いはとても大切なことに思えてきた。
「うん、わかってる」
ひいがいま感じていたものと、オトウが感じていたものは違うかもしれないけれど、ひいが空と飛行機をずっと見ていたかったことと、その気持ちを分かち合おうとしたことをずっと忘れまい。
「飛行機を見てたのか」
と声をかけると、ひいはこちらに顔を向け私を見つめた。
ひいはたぶん飛行機を知らない。大きな鳥だと思っているのだろうか。しかし、これまで鳥に興味を持ったことは一度もない。「あれは何だろう」と不思議だったのかもしれない。
ひいはまだ私を見つめている。
何かを強く訴えかけているのだ。
「何でしょうね、あれ」
と言いたいのかもしれないと思った。
あれは飛行機と言って、人や荷物を載せて空を飛ぶ乗り物だ。犬だって乗ることができるけれど、犬はクレートに入れられ荷物室みたいなところに乗らなくちゃならない。だからアメリカのように遠いところへ行くときは、十何時間も別々に過ごすことになる。アメリカって言うのは海の向こうにある国で、人間はオトウたちと違う言葉で喋っていて、でも犬はひいと同じ言葉だと思うよ。オトウはアメリカに行ったことがある、オカアはアメリカに住んでいた。まあ、あの飛行機はアメリカに行くわけではなさそうだけれど。
ざっとこのようなことを答えてみた。
しかしひいは微動だにせずやけに真剣な表情をしたままで、こんなことを知りたいわけではないみたいだ。そして真剣だからといって、チッチをしたいから外に出たいというとき、甘えたくてしかたないとき、の眼の色でもない。
ふと思った。ひいは空と空を横切るものに何かを感じたのだ。それは何ものにも代え難い気持ちで、これを私と共有したいのかもしれない。
あのとき私は何を思っていたか。
私は空と飛行機に漠然と〈春〉を見ていた。飛行機の荷物室のことや、アメリカのことなどこれっぽっちも考えていなかった。心にあったものはいまにも消えそうな感覚で、言葉にしようとするととたんに脚色されて嘘っぽくなるものだ。〈春〉という単語では伝わらない、とても個人的で、あのとき限りの何かで、しかし大切にしたい感覚。でも言葉にしなければ、もうすぐ忘れてしまう。いや、こうしている間にも気持ちの隅っこから、大切なものが消えつつあるのがわかる。すべてを言葉に頼らなければならない人間であることがひどくもどかしい。
しかし、言葉を持たないひいは、あのときをあのときのまま心に封じ込んだのではないか。
そして、これがひいにとって当たり前なのではないか。
はじめて我が家にきた日、心細く寝ていたところへ私と妻がやってきた瞬間にうれションをしたときのことは、あれがきっかけとなって私たちは互いにほんものの群れになったように感じられ、ひいがチッチに人間二人を総動員したがる遠因になっている気がしないでもない。また、Aさんのもとから巣立った犬たちの同窓会ではしゃいだこと以来、ひいは車に乗るのが好きになり、後部席のドアを開けただけで車内に乗り込もうとし、しかも同窓会が開かれた場所へ近づくと期待を隠さないようになったのは、心の中の宝物がよみがえるからではないか。これらさまざまなできごとは、見たまま感じたままに脚色もなく言葉に頼らず記憶されているのだろう。
ひいが私を見つめて言いたかったのは、
「同じとき、同じもの、見てたんですよ」
だったのかもしれない。
何かを感じ心に封じ込んだひいにとって、それを共有したいという願いはとても大切なことに思えてきた。
「うん、わかってる」
ひいがいま感じていたものと、オトウが感じていたものは違うかもしれないけれど、ひいが空と飛行機をずっと見ていたかったことと、その気持ちを分かち合おうとしたことをずっと忘れまい。
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