テーブルの下にもぐりこんだひいが顔だけ出して私を見ている。妻は台所で料理を鍋から皿へ移そうとしている。妻の様子を見張っていたわけでも、料理の手順を知っているわけでもないのに、ひいはそろそろ私たちの食事がはじまるとわかっているのだ。そして、食事が終わるのをテーブルの下で寝そべって待つことになる。
「あのね、あのね、もうすぐご飯なの。ご飯の間、ここで待ってるの」
私と妻は、ひいが見せる態度に勝手な吹き替えをつけて遊ぶ。
「あのね、あのね」はひい語訳の定番みたいなもので、何か伝えたげな彼女の顔を見ていて自然と浮かんできたものだ。不器用な真剣さというか、気持ちが先走って言いたいことが出てこないというか、まあそんな感じ。アクセントは〈あ↑の↓ね↓〉である。
「あのね、あのね、なんだかうれしいの気持ち、オトウもわかって」
「あのね、あのね、カリカリした歯磨きの棒ほしいの」
「あのね、あのね、もう寝たいの、オトウもくるの」
といった具合。
勝手な吹き替えではあるけれど、このあとの私たちへの反応を見る限りまんざら誤訳ではないようだ。
夜、寝床に仰向けに横たわると、ひいは冬なら私の両足の間に、暑い季節は私の横にぴったりくっつく。このままでは寝付けないので横向きになり足を緩やかに曲げると、ひいは起き上がって暗闇で何やら動き、どっすーんと勢いよく倒れ込んで私の太ももと尻に背中を強く押し当てる。
私は寝相がよくないからいろいろなかたちになって寝ているけれど、くの字になればくの字のくぼみに、への字になればへの字のくぼみに、そのたびにひいはどっすーんと倒れ込んで密着する。これが朝まで続く。
くっついて一緒に寝たい気持ちもさることながら、どっすーんの遠慮のなさに私を無条件に信じてくれているのだと感じる。そして、「あのね」の表情も同じものだろう。
小さな子供だったとき、大人はみんな信頼できて、どんなことも最後はうまくいくものだと信じていた。たとえ、叱られても、何かが私を泣かせたとしても信じられたのだ。
ひいは、あの日の私なのかもしれない。
「あのね、あのね、もうすぐご飯なの。ご飯の間、ここで待ってるの」
私と妻は、ひいが見せる態度に勝手な吹き替えをつけて遊ぶ。
「あのね、あのね」はひい語訳の定番みたいなもので、何か伝えたげな彼女の顔を見ていて自然と浮かんできたものだ。不器用な真剣さというか、気持ちが先走って言いたいことが出てこないというか、まあそんな感じ。アクセントは〈あ↑の↓ね↓〉である。
「あのね、あのね、なんだかうれしいの気持ち、オトウもわかって」
「あのね、あのね、カリカリした歯磨きの棒ほしいの」
「あのね、あのね、もう寝たいの、オトウもくるの」
といった具合。
勝手な吹き替えではあるけれど、このあとの私たちへの反応を見る限りまんざら誤訳ではないようだ。
夜、寝床に仰向けに横たわると、ひいは冬なら私の両足の間に、暑い季節は私の横にぴったりくっつく。このままでは寝付けないので横向きになり足を緩やかに曲げると、ひいは起き上がって暗闇で何やら動き、どっすーんと勢いよく倒れ込んで私の太ももと尻に背中を強く押し当てる。
私は寝相がよくないからいろいろなかたちになって寝ているけれど、くの字になればくの字のくぼみに、への字になればへの字のくぼみに、そのたびにひいはどっすーんと倒れ込んで密着する。これが朝まで続く。
くっついて一緒に寝たい気持ちもさることながら、どっすーんの遠慮のなさに私を無条件に信じてくれているのだと感じる。そして、「あのね」の表情も同じものだろう。
小さな子供だったとき、大人はみんな信頼できて、どんなことも最後はうまくいくものだと信じていた。たとえ、叱られても、何かが私を泣かせたとしても信じられたのだ。
ひいは、あの日の私なのかもしれない。
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