机の前の壁に、実家で飼っていた白い雑種犬ダーリンの写真がピンで留めてある。
ダーリンがテーブルの下に もぐりこんでいる所を腹這いになってシャッターを切ったのは憶えているが、そのほかのことはすべて忘れた。この写真を撮る前に何があったのか、なぜダーリ ンはテーブルの下にいたのか、ほかの家族はどうしていたのか、写真に痕跡は残っていない。それでも、ダーリンが悠々と自由を味わいくつろいでいたのはわか る。瞳がすべてを物語っている。
犬の気持ちは偽りなく瞳に現れる。
昨夜、夕食を終えて二人と一匹でくつろいでいるとき、私は妻の足の裏を指圧した。土踏まずを親指で念入りに押しつつ顔を上げると、ひいがこちらをじっと見つめていた。
「どうしたんだ」と訊いてみた。いつもなら耳をぴくりと動かすところなのに微動だにせず表情も変えなかった。
続いて、妻の手のひらを指圧した。
ひいは私から妻へ視線を移した。ただならぬ目つきだった。
それはかなり真剣に異議申し立てをしているみたいであり、視線以外の手だてで納得がいかないものへ抗議できないつらさのようなものが瞳に凝っていた。膨らみきって、いつ割れても不思議ではない風船。そんな瞳だった。
ひいは指圧を受ける妻にやきもちを焼いていたようだ。
かわいそうになって妻の手から指を離すと、ひいは私に体重を預けてしなだれかかり動かなくなった。ずっと、こうしたかったのだろう。
ひいが嫉妬をあらわにするのは、これが二度目だ。
ひいを動物愛護センターから救い出し育ててくださったAさんの飼い犬ハク君が私のひざの上に乗ったとき、鼻に皺を寄せ低いうなり声をあげた。
あれはハク君たちの群れから離れ堂々と怒れる立場になっていたからできたこと。オカアには恩があり、オカアのことは好きで、歯向かってよい相手ではないのを知っているから、やきもちを焼いても耐えるほかなかったようだ。
なんだ、おまえは。いつだって、かわいがってやってるじゃないか。体中を撫でてやるだけでなく、目を細めてよろこぶ耳のマッサージだってしている。それに、眠るときはいつもオトウにくっついているだろ。
しかし、ひいにとってはそういう問題ではないのだろう。
人間にだって、あんな気持ちになる瞬間はある。まあでも、ほどほどにしとけよ。
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