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共鳴する心のうち


 ひいが何かの具合で妻にくっついて眠ると、私はもやもやした気持ちになる。おまえの定位置はオトウの脚の間だろ。まずは股に腰を下ろし、その後、脚の間に体を伸ばす。そのままぐっすり眠って、オトウが寝返りを打つと寝相に合わせてひっついてくるのがいつものことではいないか。と、ひいの体温を独り占めしている妻がうらやましくなり、ひいはオトウのことを忘れたのか、とまで思う。なんという見苦しいまでの嫉妬心。
 ひいと眠る心地よさを説明しようにも、一言で表せる単語が見つからない。そして、犬に変わる同じ心地よさも私は知らない。体温と柔らかな毛と重みが渾然一体となった感触がたまらないのだが、電気を使って温める犬のような家電製品ができたとしても、心地よさはひいにとうてい叶わないだろう。ひいは私に安心感を与えてくれる。この程度の自分が必要とされているのが切ないくらいうれしい。
 これでは妻の立場がないような説明になったが、妻がいて、さらにひいがいる日常はこの上もない幸福なのだ。もったいないくらいの身の上である。
 では、ひいにとってはどうなのだろう。
 この問いへの答を、今日、垣間みた気がする。
 朝、動物病院へ一年に一度のワクチン接種を受けるため行った。
 ひいは散歩道にある動物病院へ用がなくても近づいて行くくらいだから、嫌いな場所ではないのは間違いない。ただ、何をされるのかわからないため待合室では怯えている。診療室を出るとほっとするらしく、今日は珍しいことに他の犬に仲よくしようよと自ら挨拶をしに行った。
 帰宅し自室の机に向かった私に、ひいは「キュウ」と切なく何度も鳴いた。小便がしたいのだろうかと外へ出してやったが、切羽詰まった表情でうろうろするだけだった。もしかして、ワクチン接種後の重い副反応が出たのだろうか。苦しいのだろうか。私と妻は心配した。
 とりあえず家に上げ様子を見ることにした。私がひいのそばに付き添っていると、さっきまで切ない声を出していたにも関わらず、のんびり日向を楽しんでいる様子だった。
 ひいは何を訴えていたのか。
 オトウが自分のためにずっとそばにいると確信できたらしいときの、くつろいでいる姿からこちらに伝わってきたものは、抱えている思いを共有できたとする彼女の満足感だった。動物病院でひいはいつもと違うものを体験し、これまでにない何かを感じたようだ。それが不安なのか、不安を乗り越えたあとの安堵だったのか、あるいはまったく違うものなのか私にはわからないが、この感情の動きをくみとってもらい気持ちを安定させたかったのではないか。私が鬱屈したとき、ひいを抱きしめるように。
 過日、コネチカット州で銃乱射事件が起こったが、セラピードッグに不安や悲しみを口にすることで日常を取り戻すきっかけになった子供たちが多いと、ナショナルジオグラフィック電子版の記事にあった。
 犬は反論も意見もせず、人間の言葉に耳を傾ける。『イヌをなでるだけで、ストレスホルモンのレベルが低下し、呼吸が落ち着き、血圧が低下する。また、オキシトシンという絆や愛着に関係するホルモンが、イヌの体内でも人間の体内でも分泌されることがわかっている。』のだそうだ。
 ならば、私と一緒に眠るとき、ひいもまた心地よい安心感を得ているのだろう。互いに心のすみずみまでわからないが、わからないことを含めて受け入れる。ペダルを踏んでピアノの鍵盤をひとつ鳴らすと他の弦までも響くように、異なるものでありながら許しあい溶け合う。
 共に、これを望んでいるのだ。

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