スキップしてメイン コンテンツに移動

ところでオトウはおまえの何なのか


 最近、妻がひいに「どうしたの? そんな目で見て」と言う。
 さてどんな目つきをしているのかと見てみると、別に変わったところはないように思われる。
 しかし妻には、ちょっと厳しい目つきに感じるらしい。
 そこで気になるのは、愛犬王とも呼ばれ多数の犬のほかオオカミなども飼っていた、犬研究の第一人者平岩米吉が著作で報告している逸話だ。平岩米吉の飼い犬のうち特に雌たちは、彼の書斎に入ることを最上の喜びとしていたという。さらに雌犬たちは、彼と奥さんが接近すると間に割って入り、マッサージ師がやってきて彼の体に触れると大いに怒ったらしい。
 平岩米吉は観察の結果、雌犬たちは人間の男と女の別をちゃんとわかっていて、彼のことを配偶者または配偶者にしたい者として見ているらしいと推論している。つまり、雌犬たちは奥さんに嫉妬し、マッサージ師をずうずうしい邪魔者と感じていたことになる。
 やはり平岩米吉の観察だが、ある仔犬は群れで地位の高い母犬の恩恵を受け年少ながら奔放に振る舞い、そのことで母犬が死んでから年上の犬にいじめられたそうだ。その後、年上の犬が死ぬと、いじめられていた犬は亡骸の首に猛然と噛み付いた。復讐をしたのだ。つまり犬には心があり、しかもかなり複雑なのだ。
 これらの話を知っている妻は、ひいの態度が気になるみたいだった。
 そこで私と妻は何度かわざとらしく仲よく楽しそうにしてみせた。
 するとひいは、ちらっとこちらを見て「別に気にしてませんが」といった感じで目をそらすのだった。まあこれだけではなんとも言えないが、ひいが妻に敵意を持っている様子はないし、妻にべたべた甘えてもいるから、心配するほどのことではないのかもしれない。
 しかし、妻の気がかりとは別に私にも気になることがある。
 ひいの要求が私に対して激しい話は別のエントリーに書いた。
 たとえば、私がソファーに座っているとき、ひいがやってきて「クゥ」と甘えるように鳴き、それを無視していると前脚でじれったそうに私の体を叩く。これは小便をしに外へ行きたいとか、いっしょに寝室へ行きたいなどの要求である。妻に対してはこのようにはしない。
 つい先日、ひいへのお裾分けとして大好物の牛すじ肉を圧力鍋で柔らかくしたものをやったのだが、固まりが大きすぎて食べられない様子だった。そこで餌の皿から肉をつまみあげると、ごちそうを盗られると警戒することなく、お座りをして固まりが小さく指で裂かれるのを待っていた。このときのひいは、とても満足そうでうれしげな表情をしていて、私が食べやすい大きさにしてやっていることを理解していたとしか思えない。
 ひいの満足そうな表情が肉を食べられることへの期待からくるものでないのは、食べ物を欲しがっているときの顔つきや態度と違っていたことからわかった。大好物を目の前にしたひいは「待て」のコマンドに従うものの、そわそわしているものだ。では何に満足していたのか。私がひいのために肉を食べやすくしてやっていることそのものをうれしがっていたような気がする。この想像が正しければ、私の献身を喜んでいることになる。いや、そうとしか表現できない様子だった。
 私は冗談半分本気半分でひいを第二夫人と書いてきたけれど、ほんとうはどうなんだろうと考えさせられた。なぜなら、これまで実家で飼ってきた雄犬たちと、はじめての雌であるひいの態度はあまりにも違うからだ。実家の長が父で私の順位が低かったことを割り引かなければならないとしても、ひいの私への依頼心と甘えかたはこれまで飼ってきた雄犬たちには見られなかったものだ。
 私のあとを始終ついて回り、私がソファーに座れば隣に座って身を持たせかけて密着し、ベッドで寝るときも隣り合ってくっつくことが至上の喜びのようだ。
 オトウはおまえにとって何なのか。
 女の子の気持ちは中年男には謎だらけだ。

コメント

このブログの人気の投稿

急病かと慌てる

 昨夜、夕飯を食べていたら、テーブルの下からカチャカチャとひいの爪が床に触れる音がし、それは聞き慣れたものと明らかに違った。滑っているような、必死に体勢を立て直そうとしているような気配に嫌なものを感じ、覗き込んでみると、腰砕けになりそうになって後ろ脚を振るわせながら持ちこたえているひいの姿があった。 「なにか変なもの食べた?」  不安に満ちた妻の第一声に、何ごとが起こったか理解できず呆然としていた私は頭から冷水をかけられたような気がした。  椅子から離れ床にしゃがんでひいと目線を合わせると、後ろ脚が麻痺して自由が利かない不自然な歩きかたでひいがテーブルの下から出てきた。時計を見上げる。診療時間は終わっているが、動物病院にまだ誰かがいてもおかしくない時刻だった。動物病院の診察券に記された番号に電話をかける。 「186をつけるか、番号通知電話からお電話ください」  と機械の声がした。  186をつけてみたが、留守電になっている。 「私、走って行って、診てもらえるように頼んでくる」  妻が携帯電話を手に取り家を飛び出した。  ひいはなんとかソファーにあがり、お座りをした。どうしたんだ、ひい。しびれるのか、痛いのか、それとも苦しいのか。私は問いかけつつ、ひいを見守るほかなかった。なかなか妻から連絡がない。かかりつけの動物病院まで、歩いても五分といった所だ。先生と交渉をしているのだろうか。こんなことならと、ひいを抱いて私も動物病院に行こうとしていると妻が戻ってきた。 「今日、水曜だった。休診日」  私たちは曜日すら忘れ焦っていたのだ。  ひいはソファーの上を行ったり来たりしている。もう麻痺している様子はない。しかし、安心してよいとは思えなかった。私は表に出てクルマに乗り込み、カーナビに動物の夜間診療所の住所を打ち込んだ。いつか必要になるかもしれないと保管していた夜間診療所のパンフレットが手元にあるとはいえ、新型とは言い難いカーナビの反応が遅く住所の打ち込みが捗らない。くそったれ。いつも右へ曲がれ、左斜め側道に入れ、直進しろなどと何もかも知り尽くしているような態度のくせして、肝心な時、おまえはなんでこうも役立たずなんだ。  クルマに乗り込みエンジンをかけたせいで、ひいは私がどこか遠くへ行ってしまうと思ったらしく、一緒に乗りたいとクルマの周囲を...

2012年Aさんチームの同窓会

  ここ数週間、ひいは落ち着かなかった。何かといえばオトウの車のにおいをかぎ、ドアを開ければ急いで乗り込もうとする。これは、Aさんが保護し里親のもとで幸せに暮らしている犬たちの同窓会の日取りが決まったあたりからのことで、オトウとオカアがせわしく準備をしていたわけでもないのに、ひいは何かを察知したのだ。ひいが人間の言葉をかなり理解できるのではないか、と信じる根拠のひとつである。  明日は同窓会という金曜の夜、ひいの車への関心は最高潮に達し、部屋にいてもそわそわしていた。私をじっと見つめ、しきりに飛びついてくる。「さあ、行こうよ。すぐ、行こうよ」といった具合でうるさいので、てるてる坊主をつくってやり「明日だよ。明日、晴れるといいね」と諭した。窓辺に吊るされたてるてる坊主を、ひいはじっと見つめ動かなくなった。  土曜日の朝、いざ出発。東名高速道路から首都高を抜け京葉道路で千葉へ向かう。幕張パーキングエリアでトイレ休憩。ひいはこれから始まるものへ距離を縮めたことを実感しているのか、駐車した車の中から千葉県に降り注ぐ太陽の光を見つめる。ここまでくると、私もあと一息と実感する。渋滞しているようだが、大きく遅刻する可能性はないとカーナビが教えてくれている。さあ、どんどん進もう。  すいらんグリーンパークに到着すると肌寒い曇り空だったが、ひいはぴょんと車から飛び降りた。そしてなんと駐車場でAさん一家の車を発見し、しがみつくようにしてにおいをかいだ。いとおしみ、なつかしみ、大好きなAさんご夫妻がここにいると確信したらしい。  貸し切りにした広いドッグランで、ひいは昔の仲間とご挨拶。新しい顔ぶれにも恐る恐るご挨拶。私と妻は飼い主のみなさんと世間話を楽しみ、ひいはがむしゃらに走り回り、Aさんご夫妻に「ひいです! ひいです! 会いたかったです!」と飛びつく。  毎度のことながら、里親家の群れにひとつの個性があり、一匹として同じ犬がいないのが楽しい。別々の群れで安定した日々を送ってる犬たちが、これをよくわかった上で仲間である人と犬と遊びに興じている。やはり、同窓会はひいたちにとって特別な日なのだ。  持ち寄った料理で昼食を食べていると雨が降り出した。ぽつんと頬に落ちる雨粒が、やがて豪雨に。予定より...

ひいへの手紙

 満月さんがブログでひいのことを紹介してくださった。  ほんとうはこの日記の紹介なのだが、恥ずかしいので「おまえのことだよ」とひいに伝えた。もしかしたら、どこかに出かけたとき「これが、ひいちゃんですか」と誰かに声を掛けてもらえるかもしれない。「よかったな、ひい」  この満月さんの一件で、「犬と生きる、ひかりと暮らす。」を書き続けてずいぶん経つなとしみじみ思った。ひいが我が家にやってくるすこし前のことから書いているので、その点ではタイトルに偽りはない。よくもまあ、続いたものだ。 「犬と生きる、ひかりと暮らす。」の正体はなんだろう、とも考えさせられた。  日記と言って間違いはないけれど、日記は自分が自分のために書くもので、そればかりではないような気がする。オトウとオカアの話の種にもなるし、ひいを知っている人への近況報告でもあるし、ぜんぜん知らない人が読んでくれているだろうと頭の片隅にある。だけど、まだ何か違うものがある。  この文章を書いている今もそうなのだが、頭の中にひいの顔があって、キーボード打つ指が止まるたび、「ひい、どう思う」と話しかけている私がいる。  ひいに手紙を書いているようなものだ。  ひいはインターネットなんてものを知らず、そんなところに自分宛の手紙が書かれているとは思ってもいないだろう。 「手紙ってなんですか」  と何もわかっていないのだ。  手紙というのは、その人に伝えたいことを書いたもので、その人だけが読めるものだよ。まあこれは、いろんな人が読めちゃうんだけどね。  この手紙は、書くのにうんうんうなることもあるけれど、そんなときでも私は楽しんでいる。ひいとじゃれあっているときよりも、楽しいかもしれない。なぜかとても、ひいを身近に感じられるのだ。  いつか、この手紙がひいにも読めるようになるときがくる。手紙を読んで、笑ったり、怒ったり、恥ずかしがったりしながら、オトウがそこへ行くのを持っていてくれ。まだ、ずっとずっと先のことにしたいけれど。  親展。ひい様。 ※満月様、ありがとうございました。ぜんぜん知らない人が、ひいのことを知ってくれたかと思うと、とても愉快です。