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オトウを困らせて


 人間が夕食を食べ終えたあとのひいの行動は決まっている。
 まず夜のおやつをほしがる。
 次に小便に行きたがる。
 最後に犬用の歯磨きスナックをほしがる。
 そして、ベッドで寝る。
 ところが夜の小便がくせ者で、かまってほしいだけなのか、それが遊びだと思っているのか、外に出してもなかなか小便をしない。
 昨夜、私はひどい風邪をひいていて咳が止まらず、しかも雨が降っていた。カーポートをあっちへ行ったり、こっちへ行ったりしているひいに、いつまでも付き合っていられる状態ではなかった。
 こんなときいつもなら、「いい仔だ。ひいはいい仔だよ」と声を掛けると、すかさず小便をする。「いい仔だ」の意味がわかっているらしく、褒められたり、よい仔だと認められたいようだ。
 ところが、この日はいっこうに小便をしない。
 そのうちひいは、庭へ駆けて行った。
 いちおう割石を敷いているとはいえ、庭に行けば泥足になる。
 しかも、もともと夜行性の犬には暗がりはへっちゃらかもしれないが、私には暗闇のどこにひいがいるのか皆目わからない。
 さらに庭から家の敷地の外へ出られる場所があり、そこは水道メーターの検診員などが出入りするところで、最近、ひいはこの小さな隙間に興味を持っていて、逃げてしまうのではないか心配だ。
「そっち行くな」
 と追いかけて庭で方向転換させてカーポートに戻しても、また隙を見て庭へ。
 それを雨が降るなか、何度、繰り返したことか。
 どうも私と遊んでいるつもりになってはしゃいでる節が見受けられる。
 たぶん私の声の調子と様子から慌てているのがわかっていて、オトウを困らせているのが楽しいのだろう。ひいとしては小さな小さなドッグランで遊んでいるつもりなのだ。茶目っ気のつもりかもしれない。
 さすがに妻は怒った。
「ドア、閉めちゃうよ」
 ひいは目にも留まらぬ速さで玄関に駆け込んだ。
 そのとき、キャンと仔犬みたいな声がした。
 母犬が仔犬をたしなめるとき首を噛むように、妻はひいの首の皮をつかんだのだ。
「いい加減にしなさい」
 ひいはしゅんとなって身を縮めていた。
 これは、Aさんの元を巣立った犬たちの同窓会でひいが目に余るくらいはしゃいでいたとき、母犬経験が豊富なみのりちゃんに「静かにしなさい」と首を噛まれたあとの反応と同じだ。
 人も犬も、母は強しである。
 家に入ったひいは、すねた様子で寝室へ行こうとしてこちらを振り返り、それでも私たちが怒っているとみると、まさに平身低頭してのそのそやってきて目を合わせようとしない。まずいことをした、やりすぎた、とわかっているのだ。
 オカアは赦してくれないとみたか、私のそばにやってきて相変わらず目を合わせないままうろうろしている。
「言うことを聞かないから、怒られたのはわかってるだろ。わがまま放題やってると、オトウからもオカアからも嫌われるぞ。そうしたらどうする?」
 やっとこっちを向いた。
 言葉の単語の意味は理解できなくても、何を言いたいか察したことだろう。
 夜はいつものように群れでベッドで寝た。
 午前五時、ひいは妻を起こし「チッチしたい」と訴えた。小便をするにはいつもより早い時刻のことなので、どうも昨夜、小便をしそこねて我慢していたらしいとわかった。オトウを困らせ、ただ遊んではしゃいでいただけではなかったようだ。
 きっと周囲に人気がない夜の庭は、ひいにとって魅力的な探検場所なのだろう。もしかしたら巣の周りを寝る前に点検しておきたいのかもしれない。そこには、元々、夜行性の犬の血が騒ぐ何かがあるような気もする。
「オトウと遊びながら夜回りして、チッチもする」
 これが昨日の、ひいの望みだったようだ。
 庭に照明をつけようか。外へ通じる小さな隙間を何かで塞ごうか。そうして、思い切りひいと鬼ごっこしてやるべきか。と、躾より遊びを考えるオトウは、娘に甘い父親の典型かもしれない。

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