前回、ひいが夜になると庭へ出たがるようになった話を書いた。
まず私をじっと見つめることにはじまり、無視を決め込むとじれったそうにトントンと前脚で私を叩き、小便をしたいのかと思い外へ出すのだが小便はせず、真っ暗な庭を行ったり来たりしてきりがない。
このような様子なので、どうも私と遊びながら夜回りをしているのではないかと考えた。しかし半信半疑だった。
土曜の夜、やはりまたひいに見つめられた。
「どうした。夜のおやつは食べただろ。おしっこだってしたじゃないか」
などと話しかけながら体を撫でてやった。
すると、そばにいた妻を不満そうな訴えるような目で見た。
「オトウは、わかってくれないの」
まさに、こんな感じだった。
ひいの求めているものが夜回りとは言い切れないので、もうひとつの可能性である私と寝室へ行きたがっているのではないかと居間を出てみたが、途中まできたひいは立ち止まり、動かなくなり、またこちらをじっと見つめた。
こうなったら庭へ出してみるほかない。
私が懐中電灯を手に庭へ向かって歩くと、後ろをついてきて、いつの間にか駆け足になっていた。さほど広い庭ではないが、どんどん奥へ行く。地面のにおいを嗅ぎ、まばらに生えている雑草を噛んでは、また先へ行く。小便をする気はまったくないようだ。
ああこのにおいは新しい何かだ。これはいつもと同じうちのにおいだ。あっちはどうだろう。こっちはどうだろう。変なやつはいないか。変なやつはいない。オトウ、そっちはどうですか。行ってみましょうよ。(以下、繰り返し)。ん、完了。とまあ、このような具合。
これで、夜回りをすることが習慣になったと確信できた。
夜警である。
夜、寝室のベッドで寝る前に、庭の見回りをする。いつも通りの庭であることに安心し、ひいの一日は終わるのだ。
ただし、庭へ行こうと要求する相手は私と決まっていて、妻に行こうと求めることはない。夜回りをしたいときは、おいしいものを食べたいときや小便が我慢できないときと同じくらい強い態度を私だけに向ける。あきらかに「オトウと夜回りする!」なのだ。嫌いな散歩へ出るときは、妻がいないとうんちさえろくにできないのだが。
夜警犬ひいは、夜回りを終えてベッドの羽布団の上で大きく手脚を伸ばし寝入っている。もうやるべきことはすべて終わったという感じだ。
でも、また明日の夜になればオトウと夜回りがしたくなるのだろう。真剣で、見方によっては楽しそうな様子を見ていると、ちょっとばかり面倒な習慣だが無碍にやめさせる気にはなれない。
夜警を自ら買って出るなんてところは、犬らしいと言えば犬らしい。番犬には心もとないひいだが、自分と私たちの巣がいつも通り平和であることは重要なのだろう。
それにしても、夜回りの相手が、何が何でも私でなければならない理由は皆目わからない。
( King Crimson / The Nightwatch-Live At The Amsterdam Concertgebouw November 23rd 1973 ジャケット)
はじめまして、ひいちゃんを保護していたAさんの知り合いの満月とネットでは名乗っているものです。
返信削除この日記の最初の頃からのファンです。
思い切ってコメントしました。
私のブログにリンクさせていただいてもいいでしょうか?
ぜひぜひこの日記を最初から皆さんに読んでいただきたい!と常々思っていたのですがなかなか勇気がなく。。
ですが前の記事の愛犬王平岩米吉の本を私も読んでいまして
うれしくて思わずコメントさせていただきました。
ぜひぜひリンクさせてください。
満月様、コメントありがとうございます。
返信削除実は私も妻も満月さんのブログを常々拝読し、考えさせられたり、笑ったり、癒されたりと、共通の話題にさせていただいております。
リンクの件、よろしくお願いいたします。
当方も、満月様のブログをリンクさせていただきます。
ありがとうございます~(感動)
返信削除ではでは
リンクさせていただきますね!