雨が降っている。特別な予定や約束はない。
楽しいかと問われたら、よくわからないと答える。つらいかと問われたら、もしかしたらそうかもしれないと答える。かといって、絶望しきっているわけではない。つまり、いつもと変わらない一日になるだろう。
ひいは私たちより早く目覚め、同じベッドの上でオトウとオカアが起きるのを待っていた。私たちはぼんやりした寝起きの頭でひいに語りかけ、ひいを撫でる。しばし、こうして時を過ごす。
ひいは餌を食べ、私たちは朝食を食べる。
ひと休みしたら散歩に出かける。
散歩から戻ったひいは、ベッドで丸くなる。
これでよいのだろうかと、ひいの飼い主として思う。もっと劇的なできごとを、ひいにつくってやらなければならないかもしれないと。そうしなければ、私たちの群れの大切な時間がもったいないのではないか。しかし、どうしたらよいかわからない。
安直かもしれないが、オカアは料理の片手間に鶏の端肉を茹でてやり、オトウはスーパーの精肉コーナーに鶏の軟骨や牛すじ肉をみつけると買ってきて、おやつを楽しみにしているひいが喜ぶさまを、同じくらいうれしい気持ちで見守る。
丸くなってうとうとしているひいに体をぴったりつけて、ゆっくり繰り返し胴を撫でてやる。ひいの呼吸がすこしずつ早くなり、ふうと大きなため息をつく。満足したのだろう。
しかし、まだまだできることがあるような気がする。
なあ、ひいどうしたらいい。
このように訊かれても、ひいは困るだけかもしれない。
それとも、「アウアウ」、「クウ」、「○※△◎□」と喋ったときは、「私が言いたいことをすぐわかってほしいの」と言うかもしれない。
ひいの声の意味はだいだいわかり、それらはおしっこをしたいなどたいしたものではない。
ひいはこんな毎日でよい、ということなのだろうか。
この焦りに似た不安は、際限なくふくらみ続ける私の欲望を鏡に映し出したものかもしれない。
コメント
コメントを投稿