スキップしてメイン コンテンツに移動

ひいの優しさに泣いた日


 妻と何気ない会話をしていて、急須(きゅうす)はキビス、キビショとも言い、前者は急火焼、後者は急焼と書き、これは古い中国語の音と字から生じたもので、もともと急須とは現在の土瓶のようなかたちの酒を直火にかけて温めるものだった、と説明した。「よくそんなこと知ってるね」と言われたが、このようなどこかで目にしたものが忘れられないのが私の性格だ。こんな辞典的なガラクタが仕舞い込まれているだけなら毒にも薬にもならないが、誰かが関係したできごとや叱責の声や失敗も同じようにありありと記憶の倉庫に不良在庫として残っていて、意図せぬ棚卸しで思い出され苦しみの元になる。
 性格とはなんだろう。人それぞれが本来もっている反応や感情や行いの型のことなのだろうが、どうしてこんなに千差万別なのだろう。そして、たぶん多くの人は自らの性格を肯定できないのではないだろうか。胸を張って他の人より性格が優れていると誇る人は、なにか胡散臭い感じがする。誇るまででなくとも、全面的に自分自身を受け入れられる人には近寄り難いものを覚える。
 火山灰地にツツジがよく育ち、水持ちがよい土壌で稲穂がたわわに実るように、性格は生まれ持った脳のありかたと関係しているに違いない。
 私はMRI検査を受けたことがあるが、画像を見た医師から脳梁が異常に大きく太いと驚かれた。脳梁は右脳と左脳の間に、前から後ろへ連なっている海苔巻きのようなかたちのものだ。ちょんまげが、頭の中にあると考えるとわかりやすい。
 役目は右脳と左脳の連絡役で、女性のほうが男性より発達している。私の場合は、女性のそれより圧倒的に長く巨大で、海苔巻きではなく太巻きサイズだ。脳梁が男性と女性の性格差を決定しているとする説は否定されているが、感情的になり理性がまったく働かない男性型の爬虫類的な暴力は、右脳で処理された感情が論理脳である左脳と連絡が滞り暴走するせいだと言われている。また論理を処理する左脳は、どんどん上書き保存をくり返すため忘れる脳でもある。いっぽう、右脳は見たまま感じたままの大量の情報を、ありのまま保存できるブルーレイディスクのような脳だ。右脳で把握したものに左脳がラベルを貼り、また右脳の倉庫に仕舞う。これが過剰で異常なのではないかと、私は自分の性格の根源について思う。
 先日、私が列に並んでいると着飾った老女が斜め後ろに立ち、ふらふら歩き回りながら、私と前の人との間の曖昧な位置に移動してきた。横入りをするのだろうとわかったが、私が数分遅れてこの列に並んだら一人、二人、後ろにいたのだろうから許そうと思った。店が開き皆がゆっくり動き出すと、老女は我れ先と人を押しのけて見苦しく商品に向かった。こうしてこれまで生きてきたらしく、いくら着飾るお金があったとしても哀れだと感じた。
 こんなありふれた些細なできごとがいけなかった。「許す」とし「哀れ」と感じたのは、自分を高みに置いた思い上がりではなかったかとつらくなった。ここから古いできごとの棚卸しがはじまり、相手を許したり、むしろ逆に手助けして、手痛い仕打ちを後に受け裏切られた思い出が、ドキュメンタリー映画のように克明に次々よみがえってきた。いったい自分は、自分のためになることをしてきたのだろうか。信じられる人をとことん信じたいけれど、人を信じて許すことが自分のためになっていないではないか。
 疑問や戸惑いに縛られることで、人が私から去って行く。結果的に相手を傷つけ、去られて行く。私は人とまともに関係を結べない人間だ。筋道として破綻しているのはわかるが、悪循環が止まらない。意気消沈して脱力した私に、妻は淡々と世の中のありようを説いてなぐさめてくれた。ありがたいことだ。
 ベッドにへたりこんだ私に、ひいが寄り添う。
 あきらかにひいは私がいつもと違うのをわかっている。探るような眼でこちらを見つめ、自らの感情を薄めている。私がひいに触れるとされるがままにし、もっと撫でてと要求することがない。かといって、我慢しているわけでもない。「わたしは、ここにいますよ」とだけ、言っているのだ。「オトウは、いま疲れてるのです。ただ、それだけなのです。だから、元のオトウに戻れるのです」と囁かれたように感じる。
 妻とひいの心遣いに、うっすら涙が浮かんだ。家族を悲しませている自分のわがままがつらい。でもきっと、この二人と一匹で明日の朝を迎えられる。これだけは信じよう。


コメント

このブログの人気の投稿

急病かと慌てる

 昨夜、夕飯を食べていたら、テーブルの下からカチャカチャとひいの爪が床に触れる音がし、それは聞き慣れたものと明らかに違った。滑っているような、必死に体勢を立て直そうとしているような気配に嫌なものを感じ、覗き込んでみると、腰砕けになりそうになって後ろ脚を振るわせながら持ちこたえているひいの姿があった。 「なにか変なもの食べた?」  不安に満ちた妻の第一声に、何ごとが起こったか理解できず呆然としていた私は頭から冷水をかけられたような気がした。  椅子から離れ床にしゃがんでひいと目線を合わせると、後ろ脚が麻痺して自由が利かない不自然な歩きかたでひいがテーブルの下から出てきた。時計を見上げる。診療時間は終わっているが、動物病院にまだ誰かがいてもおかしくない時刻だった。動物病院の診察券に記された番号に電話をかける。 「186をつけるか、番号通知電話からお電話ください」  と機械の声がした。  186をつけてみたが、留守電になっている。 「私、走って行って、診てもらえるように頼んでくる」  妻が携帯電話を手に取り家を飛び出した。  ひいはなんとかソファーにあがり、お座りをした。どうしたんだ、ひい。しびれるのか、痛いのか、それとも苦しいのか。私は問いかけつつ、ひいを見守るほかなかった。なかなか妻から連絡がない。かかりつけの動物病院まで、歩いても五分といった所だ。先生と交渉をしているのだろうか。こんなことならと、ひいを抱いて私も動物病院に行こうとしていると妻が戻ってきた。 「今日、水曜だった。休診日」  私たちは曜日すら忘れ焦っていたのだ。  ひいはソファーの上を行ったり来たりしている。もう麻痺している様子はない。しかし、安心してよいとは思えなかった。私は表に出てクルマに乗り込み、カーナビに動物の夜間診療所の住所を打ち込んだ。いつか必要になるかもしれないと保管していた夜間診療所のパンフレットが手元にあるとはいえ、新型とは言い難いカーナビの反応が遅く住所の打ち込みが捗らない。くそったれ。いつも右へ曲がれ、左斜め側道に入れ、直進しろなどと何もかも知り尽くしているような態度のくせして、肝心な時、おまえはなんでこうも役立たずなんだ。  クルマに乗り込みエンジンをかけたせいで、ひいは私がどこか遠くへ行ってしまうと思ったらしく、一緒に乗りたいとクルマの周囲を...

2012年Aさんチームの同窓会

  ここ数週間、ひいは落ち着かなかった。何かといえばオトウの車のにおいをかぎ、ドアを開ければ急いで乗り込もうとする。これは、Aさんが保護し里親のもとで幸せに暮らしている犬たちの同窓会の日取りが決まったあたりからのことで、オトウとオカアがせわしく準備をしていたわけでもないのに、ひいは何かを察知したのだ。ひいが人間の言葉をかなり理解できるのではないか、と信じる根拠のひとつである。  明日は同窓会という金曜の夜、ひいの車への関心は最高潮に達し、部屋にいてもそわそわしていた。私をじっと見つめ、しきりに飛びついてくる。「さあ、行こうよ。すぐ、行こうよ」といった具合でうるさいので、てるてる坊主をつくってやり「明日だよ。明日、晴れるといいね」と諭した。窓辺に吊るされたてるてる坊主を、ひいはじっと見つめ動かなくなった。  土曜日の朝、いざ出発。東名高速道路から首都高を抜け京葉道路で千葉へ向かう。幕張パーキングエリアでトイレ休憩。ひいはこれから始まるものへ距離を縮めたことを実感しているのか、駐車した車の中から千葉県に降り注ぐ太陽の光を見つめる。ここまでくると、私もあと一息と実感する。渋滞しているようだが、大きく遅刻する可能性はないとカーナビが教えてくれている。さあ、どんどん進もう。  すいらんグリーンパークに到着すると肌寒い曇り空だったが、ひいはぴょんと車から飛び降りた。そしてなんと駐車場でAさん一家の車を発見し、しがみつくようにしてにおいをかいだ。いとおしみ、なつかしみ、大好きなAさんご夫妻がここにいると確信したらしい。  貸し切りにした広いドッグランで、ひいは昔の仲間とご挨拶。新しい顔ぶれにも恐る恐るご挨拶。私と妻は飼い主のみなさんと世間話を楽しみ、ひいはがむしゃらに走り回り、Aさんご夫妻に「ひいです! ひいです! 会いたかったです!」と飛びつく。  毎度のことながら、里親家の群れにひとつの個性があり、一匹として同じ犬がいないのが楽しい。別々の群れで安定した日々を送ってる犬たちが、これをよくわかった上で仲間である人と犬と遊びに興じている。やはり、同窓会はひいたちにとって特別な日なのだ。  持ち寄った料理で昼食を食べていると雨が降り出した。ぽつんと頬に落ちる雨粒が、やがて豪雨に。予定より...

ひいへの手紙

 満月さんがブログでひいのことを紹介してくださった。  ほんとうはこの日記の紹介なのだが、恥ずかしいので「おまえのことだよ」とひいに伝えた。もしかしたら、どこかに出かけたとき「これが、ひいちゃんですか」と誰かに声を掛けてもらえるかもしれない。「よかったな、ひい」  この満月さんの一件で、「犬と生きる、ひかりと暮らす。」を書き続けてずいぶん経つなとしみじみ思った。ひいが我が家にやってくるすこし前のことから書いているので、その点ではタイトルに偽りはない。よくもまあ、続いたものだ。 「犬と生きる、ひかりと暮らす。」の正体はなんだろう、とも考えさせられた。  日記と言って間違いはないけれど、日記は自分が自分のために書くもので、そればかりではないような気がする。オトウとオカアの話の種にもなるし、ひいを知っている人への近況報告でもあるし、ぜんぜん知らない人が読んでくれているだろうと頭の片隅にある。だけど、まだ何か違うものがある。  この文章を書いている今もそうなのだが、頭の中にひいの顔があって、キーボード打つ指が止まるたび、「ひい、どう思う」と話しかけている私がいる。  ひいに手紙を書いているようなものだ。  ひいはインターネットなんてものを知らず、そんなところに自分宛の手紙が書かれているとは思ってもいないだろう。 「手紙ってなんですか」  と何もわかっていないのだ。  手紙というのは、その人に伝えたいことを書いたもので、その人だけが読めるものだよ。まあこれは、いろんな人が読めちゃうんだけどね。  この手紙は、書くのにうんうんうなることもあるけれど、そんなときでも私は楽しんでいる。ひいとじゃれあっているときよりも、楽しいかもしれない。なぜかとても、ひいを身近に感じられるのだ。  いつか、この手紙がひいにも読めるようになるときがくる。手紙を読んで、笑ったり、怒ったり、恥ずかしがったりしながら、オトウがそこへ行くのを持っていてくれ。まだ、ずっとずっと先のことにしたいけれど。  親展。ひい様。 ※満月様、ありがとうございました。ぜんぜん知らない人が、ひいのことを知ってくれたかと思うと、とても愉快です。