スキップしてメイン コンテンツに移動

血脈


 初対面のとき、ひいは単なる洋犬の雑種にしか見えなかった。だが、ともに暮らしてみると顔貌にジャーマン・シェパードの特徴が感じられ、シェパードの血が入った雑種ではないかと思えてきた。わかりやすいところでは、マズルと眼の周りの黒さ(ブラックマスク)、大きな二等辺三角形の耳だ。さらに目尻の下にシェパード特有の黒点があり、これを我が家ではシェパポッチと呼ぶようになった。ドッグランで見知らぬ人から、シェパードの仔ですかと訊かれたこともある。そう、シェパードでなくシェパードの仔、なのだ。小型犬と中型犬の境目に位置する大きさは仔犬にしか見えない。
 あるとき妻が、ベルジアン・シェパード・ドッグ・マリノアの写真を見つけた。その名の通り、ベルギー原産のシェパードだ。驚くべきは、ひいを拡大コピーしたかのような姿かたちだったことである。ひいは鳩胸で、腹にかけてきゅっと引き締まり、全体的に短毛だ。そしてチビのくせに筋肉質。これらはマリノアの特徴だ。
 しかし、だ。マリノアは日本ではきわめて珍しい犬種である。実物を見たことがある人は、どれほどいるだろうか。つまり、どこにでもいる犬ではない。珍しい犬種なら血統書がものを言うから、雑種が生まれるような環境に置かれているマリノアはいないのではないか。だから、他人のそら似だろうと私と妻は大笑いした。偽・チビ・マリノアだ、と。
 でもこの犬種が気になるので、だんだんマリノアについての知識が増えていった。胴体の長さと体高の比率が一対一で正方形に収まる、全天候型のダブル・コート、頭頂部が平らである、適度に尖ったマズル、マズルの長さは頭の長さとほぼ等しい、鼻梁は頭頂部と平行、中ぐらいの大きさの眼はすこしアーモンド型、鼻は黒い、首の周囲の毛がやや長い、つま先立ちのような脚、すばっしこくて速力がある。これらはほぼひいにも共通し、成犬になる前の段階のマリノアといったところだった。
 このうえ性格も似ている。警戒心が強いうえに用心深い、家族には忠実で優しく深い愛情を示すが他人には打ち解けない、飼い主の気持ちを常に読み取ろうとじっと見つめる眼差しが特徴的。訓練性が高いという点は、訓練をしていない座敷犬なのでなんとも言えないが、良くも悪くもいろいろ憶えて忘れない。
 ここまでそっくりだと、ミニチュア・マリノアと呼んでもよさそうで、大型犬のマリノアが小型であることを好む人もいそうだから、もしひいの仔を増やせるものならそこそこ人気が出るかもしれない。
 私と妻はひいが純血種であったらいいとか、マリノアであったらいいと思っているのではない。どこで、どうして生まれたか、犬たちのどのような歴史を負っているのか、わかるはずもないことをあれこれ思い浮かべるのが好きなのだ。
 ひいはどう考えても雑種で、ひい種というただ一匹の犬だ。シェパード系の血が入っているのは間違いなく、マリノアがご先祖様にいた可能性がぜったいないとは言い切れないだろう。あるいはマリノアをつくり出す過程とよく似た混血が、偶然、この日本のどこかで生じたのかもしれない。いずれにしても、広い海で隔てられた大陸の遠いところからやってきた一匹の犬が、誰かと恋に落ち、この地に子孫を残したのだ。その犬の血は薄まっていっただろうが、ひいの外見だけでなく心にも痕跡を残している。命は合流し続け、ひい種というただ一匹の犬まで連続しているのだ。
 私は子供のときから曾祖父に生き写しだと言われてきた。華道家で、自らの流派をつくり、流派を発展させることなく一代限りで終わった人だ。号は加藤宗斎。作風は、花器に枝をひとつ投げ込むような地味で抽象的なものだった。山羊のような白い髭、私と同じ顔、同じ声。女ものの反物で仕立てた着物をまとう奇矯な振る舞いがあったいっぽうで、息子夫婦の家へ出向き障子の桟のほこりを指で拭うような嫌みな神経質さがあった。これをその場で言うのでなく、手紙に細々と、長々と、書き綴り、時代ものの書状のように折りたたんで送る異常さ。結婚生活がうまく行くはずはなく、離婚し再婚している。最初の奥さんが生んだ息子に嫁いだ人が言うには、ただただ難しい人だったそうだ。たしかに、まるで私だ。
 日頃、何ひとつ気にかけず、疑うことなく踏みしめているアスファルトに埋もれた大地の下に、滔々と流れる水脈がある。川が干上がる灼熱の夏も、凍りつく冬も、途切れず海へ続いている。血脈もまた同じだ。

コメント

このブログの人気の投稿

急病かと慌てる

 昨夜、夕飯を食べていたら、テーブルの下からカチャカチャとひいの爪が床に触れる音がし、それは聞き慣れたものと明らかに違った。滑っているような、必死に体勢を立て直そうとしているような気配に嫌なものを感じ、覗き込んでみると、腰砕けになりそうになって後ろ脚を振るわせながら持ちこたえているひいの姿があった。 「なにか変なもの食べた?」  不安に満ちた妻の第一声に、何ごとが起こったか理解できず呆然としていた私は頭から冷水をかけられたような気がした。  椅子から離れ床にしゃがんでひいと目線を合わせると、後ろ脚が麻痺して自由が利かない不自然な歩きかたでひいがテーブルの下から出てきた。時計を見上げる。診療時間は終わっているが、動物病院にまだ誰かがいてもおかしくない時刻だった。動物病院の診察券に記された番号に電話をかける。 「186をつけるか、番号通知電話からお電話ください」  と機械の声がした。  186をつけてみたが、留守電になっている。 「私、走って行って、診てもらえるように頼んでくる」  妻が携帯電話を手に取り家を飛び出した。  ひいはなんとかソファーにあがり、お座りをした。どうしたんだ、ひい。しびれるのか、痛いのか、それとも苦しいのか。私は問いかけつつ、ひいを見守るほかなかった。なかなか妻から連絡がない。かかりつけの動物病院まで、歩いても五分といった所だ。先生と交渉をしているのだろうか。こんなことならと、ひいを抱いて私も動物病院に行こうとしていると妻が戻ってきた。 「今日、水曜だった。休診日」  私たちは曜日すら忘れ焦っていたのだ。  ひいはソファーの上を行ったり来たりしている。もう麻痺している様子はない。しかし、安心してよいとは思えなかった。私は表に出てクルマに乗り込み、カーナビに動物の夜間診療所の住所を打ち込んだ。いつか必要になるかもしれないと保管していた夜間診療所のパンフレットが手元にあるとはいえ、新型とは言い難いカーナビの反応が遅く住所の打ち込みが捗らない。くそったれ。いつも右へ曲がれ、左斜め側道に入れ、直進しろなどと何もかも知り尽くしているような態度のくせして、肝心な時、おまえはなんでこうも役立たずなんだ。  クルマに乗り込みエンジンをかけたせいで、ひいは私がどこか遠くへ行ってしまうと思ったらしく、一緒に乗りたいとクルマの周囲を...

2012年Aさんチームの同窓会

  ここ数週間、ひいは落ち着かなかった。何かといえばオトウの車のにおいをかぎ、ドアを開ければ急いで乗り込もうとする。これは、Aさんが保護し里親のもとで幸せに暮らしている犬たちの同窓会の日取りが決まったあたりからのことで、オトウとオカアがせわしく準備をしていたわけでもないのに、ひいは何かを察知したのだ。ひいが人間の言葉をかなり理解できるのではないか、と信じる根拠のひとつである。  明日は同窓会という金曜の夜、ひいの車への関心は最高潮に達し、部屋にいてもそわそわしていた。私をじっと見つめ、しきりに飛びついてくる。「さあ、行こうよ。すぐ、行こうよ」といった具合でうるさいので、てるてる坊主をつくってやり「明日だよ。明日、晴れるといいね」と諭した。窓辺に吊るされたてるてる坊主を、ひいはじっと見つめ動かなくなった。  土曜日の朝、いざ出発。東名高速道路から首都高を抜け京葉道路で千葉へ向かう。幕張パーキングエリアでトイレ休憩。ひいはこれから始まるものへ距離を縮めたことを実感しているのか、駐車した車の中から千葉県に降り注ぐ太陽の光を見つめる。ここまでくると、私もあと一息と実感する。渋滞しているようだが、大きく遅刻する可能性はないとカーナビが教えてくれている。さあ、どんどん進もう。  すいらんグリーンパークに到着すると肌寒い曇り空だったが、ひいはぴょんと車から飛び降りた。そしてなんと駐車場でAさん一家の車を発見し、しがみつくようにしてにおいをかいだ。いとおしみ、なつかしみ、大好きなAさんご夫妻がここにいると確信したらしい。  貸し切りにした広いドッグランで、ひいは昔の仲間とご挨拶。新しい顔ぶれにも恐る恐るご挨拶。私と妻は飼い主のみなさんと世間話を楽しみ、ひいはがむしゃらに走り回り、Aさんご夫妻に「ひいです! ひいです! 会いたかったです!」と飛びつく。  毎度のことながら、里親家の群れにひとつの個性があり、一匹として同じ犬がいないのが楽しい。別々の群れで安定した日々を送ってる犬たちが、これをよくわかった上で仲間である人と犬と遊びに興じている。やはり、同窓会はひいたちにとって特別な日なのだ。  持ち寄った料理で昼食を食べていると雨が降り出した。ぽつんと頬に落ちる雨粒が、やがて豪雨に。予定より...

愛されてばかりいると星になるよ

 本日のひいの写真はウォン・カーウァイ監督作などで撮影監督をしてるクリストファー・ドイル調にしてみた。カーウァイの『花様年華』をイメージしたつもりだけれど、嗚呼、なんか違うな。なぜこんな真似をしたくなかったかと言えば、ウォン・カーウァイの作品に通底する愛について思いをめぐらしていたからである。  人が心に抱く愛の念と、犬の話がいかに関係しているのか。それは、ひいが特殊な暮らしをしている犬であることから説明しなければならないだろう。  人間のオトウとオカアと一日中過ごし、もちろん眠るときも一緒。いつも互いがそばに居ると限らないが、ひいの本拠地というか巣はベッドで、そのベッドは私の部屋と天井まで届く本棚で区切られた部屋にあるから、つねに気配が伝わっていることだろう。  女の仔のひいが、こうして暮らし続けた結果どうなったか。  妻と話し込んでいるとき、ひいは急に私に飛びついて歓心を引こうとする。何か要求があるのか、その状況で考え得る行動に移すが彼女は満足しない。度々このようなことがあって、単にオトウを振り向かせたいためだけにやっているとわかった。  妻が肩こりで悩んでいるときマッサージをすると、ひいは私たちから目を逸らす。必ず、そうする。ちょっといじけた雰囲気を漂わせているので、妻への肩たたきを終えたあと、ひいを念入りに撫でてやらなければならない気持ちになる。  我が家でのひいのポジションは、永遠の赤ん坊である。何らかの責任や使命を押し付けられることなく、かわいがられ守られ続ける群れの一員だ。使命はない代わりに私と妻の心のオアシスで、家族と愛し合いふれあいたい願望を受け止めてくれる係である。  だが、ひい自身は赤ん坊と大人の女の間で揺れ動いている。  オトウとオカアが男女つまり雄と雌であるのをひいが知っていることは何度も書いてきた。そこに、自分と人間は何か違うものらしいけれど、まったく違うものでなく、むしろ犬型をした他のものたちより人間に近い存在という感覚が加わっているみたいだ。もしかしたら、人間とはなんとなくかたちが違うだけと思っているのかもしれない。  群れのメンバーと愛し合いふれあいたい願望は、ひいも変わらない。ただし、そこに別の愛を求める気持ちが芽生えているようにも思える。考え過ぎだろうか。  もっと愛をちょうだい。その愛とは別の愛がほしい。もし人間の女性な...