きなくさいニュースが毎日のように伝えられている。かの国の外務省報道官の女性は動揺と怯えを隠しきれない怒ったみたいな顔をして、自分たちは何があったか知らないと言った。関係部署に訊いてくれ、と言った。知らないはずはないのだけれど、偉い人たちでさえ手に負えない泥沼に片足を突っ込む者たちがいて、おおっぴらにするととんでもないことになるのだろう。
喧嘩と戦争は違う。私が誰かに諍いを仕掛けて勝った負けたと騒ぎになっても、やったことの大きさだけの因果が己に巡ってくるだけだ。しかし戦争は、首謀者を何人捕らえても、何人絞首台に送っても、罰というかたちで彼らが責任を取れるものではない。数多くの見ず知らずの者を不安にさせ、殺し、支配する上で、端から相手の事情を斟酌するつもりなどない。どうでもよいニュースも毎日のように飛び交っている。若い芸能人の女の子が男と付き合っているとか夜遊びをしたと証拠を突きつけられ、なぜか坊主頭になった。自分の意志か、誰かの助言か、商売の都合なのか知らないが、とにかく彼女は坊主頭になった。若いとはいえ子供ではない人が誰かと交際するのは自由だし、坊主頭になるのも勝手だが、わざわざスキャンダルを暴きたてる者がいて、謝罪と称して女が頭を丸めるという癇癪玉なみの気障りな破裂音を響かせ、髪を切った事実を公開する手はずを整えた大人たちがいる。
くだらないと片付けて終わりのはずの出来事だが、何か嫌なものが澱となって気持ちに沈殿する。相撲と歌舞伎に素人は近づくなと昔から言われていて、これらの世界は常人の感覚が通じず、巻き込まれたら碌なことがない。現代だったら、ここに芸能界とスポーツ界が入るだろう。身内の世界を暴露して、暴露こそ好奇心の発端だから人は騒ぎたて、誰も後先のことは考えない。くだらないことが圧倒的多数を占めるのが浮き世で、くだらいなものは忘れ去られたあともじわじわ浮き世を浸食し続ける。これを人気とか影響力とか実績と呼ぶ人たちがいて勘違いも甚だしいが、そういう世界があるのも事実だ。
どちらの話も、我が家の外の出来事だ。
だが我が家もフローティング・ワールド(浮き世)とともに漂流する小さな群れだ。浅井了意の「浮世物語」(1659〜66年の間に成立)に曰く、「当座にやらして、月、雪、花、紅葉にうちむかひ、歌をうたひ、酒のみ、浮きに浮いてなぐさみ、手前のすり切り(筆者注:無一文のこと)も苦にならず、沈み入らぬこころだての、水に流るる瓢箪のごとくなる」。思うようにならない憂世(うきよ)を、一寸先さえわからないのだからと逆手に取り、開き直って浮き世としたのだ。つまり憂世あっての浮き世で、これらは表裏一体だ。
ひいもまたフローティング・ワールドの住人で、人間のどたばたと無縁ではない。もちろん、ひいはニュースも吊り広告も見聞きしない。でも、これといって具体的に言葉にできない漠然としたものが、やがて我が家に侵入してくることだろうし、こうなれば否応なくひいの人生に影響を与える。
昨日のひいの懸念事項は、オトウが出かけて、しかも普段は向かわない方角へ行き、そのうえいつまでも帰ってこなかったことだった。なかなか帰れなかったのは道に迷い思いのほか時間を食ったせいだが、ひいに知る術はない。出かけた直後から不安を覚え、オカアに抱っこしてくれとせがんだという。帰ってきてからも、心細かったと訴えるように切ない声で鳴いた。
これ以外、あえて書くようなことは起こらず一日は終わりに近づいた。ひいは薄暗い寝室のベッドで熟睡している。オトウとオカアも寝るぞ、と声をかけると寝ぼけ眼(まなこ)でこちらを見るが、睡魔に勝てずすぐまぶたが落ちる。私が布団をかぶると、待ってましたとばかりそそくさと股(また)の間にもぐり込んだ。
「朝まで、いっしょだ」
私は布団の中のひいに声をかけた。
諍いのない世であってほしいけれど、そんなのは無理だ。だったら、すこしでも諍いがなく、この群れに諍いが及ばないよう祈ろう。これすら無理な話なのかもしれない。では、明日がやってきますように。朝、目覚めたらオトウとオカアとひいが揃っていますように。
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