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てへぺろと犬は笑う


 居間に行ったひいが一匹だけで何をしているのか好奇心をそそられた。
 カメラを持って足音を忍ばせドアの陰から居間にレンズを向けると、ひいは電源が入っていないテレビのほうを見てぼうっとしていた。レンズの視線に注視されている気配に気付いたのか、こちらを振り返ったひいは驚きと恥ずかしさを誤摩化すようにてへぺろっと笑った。
 野生のオオカミは笑わない。そもそも顔の筋肉の発達のしかたが人間と違うのだから笑顔をつくれないと言うべきか。しかし、犬は笑う。顔のつくりのせいか柴犬はしょっちゅう笑っているように見える。犬は人間と数万年も一緒に暮らしてきたため、笑顔をつくれるはずのない筋肉で笑顔を真似るようになったとされている。群れで生きる動物にとって感情表現は重要だから、筋肉や骨格の違いを超えて笑い顔を習得したのだろう。
 ひいは顔の幅が狭くマズルが長くて、眼は丸っこいアーモンド型なので、柴犬のように口角がきゅっと上がり眼を細めた満面の笑みにはならない。それでも私や妻には、日頃の表情との違いがはっきりわかる。
「なに笑ってんだよ」
 と訊きたくなるときがある。
 まあ哀しい表情をされるより、よっぽどうれしいのではあるが。
 ところで、笑えるはずのない表情筋を使って笑う犬を、人間はかわいいと喜ぶだけでよいのだろうか。遺伝子的に野生のオオカミの変種にすぎないが、犬の心は人間にとても近づいているのだろう。そしていまでも、人間により近づこうとしているに違いない。表情や行動を取り入れ、言葉の意味もかなり憶えている。そんなに野生から遠のいて、いいのかい。
 人間て、君たちにとって真似したくなるほどいいものなのかい。
 オトウは人間であることに疲れたから、ひいよりちょっと大きめの犬になって、おまえとゆったり暮らしたいと思っているのだが。


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