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怖いもの知らずだったのは昔のこと


 せっかちなのは生まれつきだが、20代いっぱいまで怖いもの知らずで思慮が浅さく軽挙妄動が常だった自らに今になって赤面する。軽挙妄動の癖は治らなかったが、世の中、怖いものばかりとなった。人が怖い、もっとも怖い。お金が怖い。死が怖い。幸せなときはいつか必ず終わる、と怖い。
 犬たちは雷を怖がると言われるが、これまでひいはどんな雷雨も恐れなかった。過日、颱風が衰え生じた熱帯低気圧によって日本中が荒らしまくられたとき、我が家の周囲もまるで機銃掃射を受けたみたいな雷と雨に見舞われた。この日、はじめてひいは雷鳴に怯えた。いつもならベッドで寝転がっているところなのに、私の足下、机の下に入り込み身を縮めていた。
 犬の先祖であるオオカミは斜面などに穴を掘って巣穴としていた。雷は雨の先触れであり、豪雨となれば土が崩れ生き埋めになる者もいたことであろう。体が濡れて冷えれば、病や死に結びつく。かつて飼っていた白い雑種犬のダーリンは、正月がくるからと風呂で洗ったら、よく乾かしたつもりだったが冷えが体力を一気に奪い寝たきりとなり、死のきっかけとなった。犬が雷や雨を嫌うのは、本能に刻まれた過去の記憶が呼び起こされるからなのだろう。
 そう言えば311の日から、ひいは地震を怖れるようになった。スマートフォンが知らせるだけで体には感じられないほどの揺れであっても、なぜか感知することができる。さらに、遠いところで起こるP波と呼ばれる初期微動がわかるのか、大きく揺れる前に警戒の声を「ワン」と上げ、地震が嫌いなオカアのもとへ駆けて行く。オカアはひいを抱きしめ、ひいは怯えた目をして揺れが収まるのを待つ。あの春先の震災の揺れと、その後に起こった群れの中の混乱を忘れられないようだ。
 こうして、ひいの怖いものが増えて行くのかもしれない。
 これは同時に、いろいろなものごとを覚えたことになるのだろう。五歳を過ぎて、年齢換算はあてにならないとはいえ、少なくとも青春の時期は終わりを迎え自らの弱さを知るに至ったのかもしれない。私と同じように。
 本日、夕刻から雷雨。
 雨は収まってきたが、遠雷が轟く。
 ひいは机の下。私は椅子の脚の車輪でひいを轢かないようにしている。どこかへ行こうとすればついてきて、(机の下のほうが怖くないのに)という眼をするので部屋からは出ない。
 小学二年生まで私は死なんて考えたこともなかった。死といえば、テレビの中のウルトラマンのスペシウム光線によって倒された怪獣の姿だった。この年齢で祖父を失い、葬式に行き祭壇と棺に横たわったままのドライアイスで冷やされていた祖父の姿を見ても、心はさほど動かなかった。しかし、火葬場で骨になった祖父の、はっきり残ったのど仏を箸で拾ったとき人がこの世から消える事実がぼんやり心に焼き付けられた。このときから、日々刻々と心に焼き付けられた像は濃淡の度を増し、いまでは黒と白の明快な姿となって私を怯えさせるまでになった。
 歳をとれば怖いものなんてなくなるさ、というのは嘘だと思う。すくなくとも今は、そう感じる。

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