亭主が好きな赤烏帽子(あかえぼし)は死語かもしれないが、こういった言い回しが消えるのは実に惜しい気がする。頭にかぶる烏帽子は黒いものと決まっている。でも亭主が赤が好きと言えば、いかに変ちくりんなものでも家族は赤い烏帽子をかぶらなければならない。一家の主の言うことに家族は従わなければならない、といったところだ。これとは別に正確な意味から派生して、亭主が好きなものならそれを受け入れて丸く納めるという言葉としても使われる。
さらに、「亭主が好きな赤烏帽子よ。旦那がこれが好きだって言うから、しかたないなあと思って着てますの」と言えば、惚気(のろけ)になる。これを辞書の説明通りに、亭主の独裁、同調圧力と言い換えてしまうと、味わいがなくなりギスギスするばかりだ。やだやだ。
今年は冬の寒さが厳しいのもあるが、私たち夫婦がたった一年でずいぶん老け込んだのも関係しているらしく、去年と同じ厚さの部屋着ではなんとも心もとない。妻は買いそろえる間がなかったことで着るものに困り、古い服をひっぱり出してくるはめになった。それはニューヨークの寒さに弱りはて飛び込んだベネトンで買ったセーターだが、時代が時代だったというか、そもそもベネトンがそういうブランドなのか、胸に太く大きく「B」と書かれている。昔のマンガで中学生くらいの男の子が着ているセーターそのものといった感じだ。なお、「B」はベネトンの頭文字である。
妻はダサイけどしかたないと言ったが、私は気に入った。
ユーモラスで男の子っぽいところが、よく似合う。これ以上の選択はないと感じ、控えに似たものをもう一着手に入れるべきではないかと勧めもした。ここまで言うならということなのだろう、妻はこのセーターをよく着るようになった。Bちゃんの誕生である。
寒さが堪えるのは私たちだけではない。ダブルコートとはいえ、ひいも寒そうだ。動物愛護センターから保護されAさんに育てられていたとき着ていた青と白の縞のラガーシャツを越える、ひいに似合う服はないと感じていた私は、同じようなシャツに出会えないなら服を着せないほうがよいとしてきた。ひいはガーリーなものは似合わないにきまっている。しかし、背に腹は代えられないとサイズが合いそうな犬用の着る毛布を買った。服ではない、着る毛布なのだと自分を納得させたのだ。
ひいが着る毛布を喜んでいるか微妙なところだ。とても暖かいと感じている様子のいっぽう動きにくいらしく、着せようとするとまるで話をそらすようにそっぽを向くが、脱がそうとすると「このままで」といったふうに躊躇いを見せる。これもまた、しかたないと半ば諦めているのだろう。
この防寒着を着ると、ひいは羊のようなずんぐりした姿になり、真正面から見ると胸を覆っている部分が赤ちゃんのおむつそっくりだ。ぐっと張った胸から余計なふくらみのない腹にかけての、野生を思わせる曲線の魅力がどこかへ行ってしまうが、これはこれで面白い。
私が毛布を纏ったひいのそばにいる件のセーターを着た妻をBちゃんと呼ぶたび、妻は「Bちゃん、ひいちゃん。オトウはブンちゃん」と言うようになった。これを愉快だと思う私は、赤烏帽子が勢揃いしたのを喜ぶ亭主なのかもしれない。
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